会 津 を 構 成 す る 市 町 村

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猪  苗  代  町   (耶麻郡)


猪苗代町の町並み湖

猪苗代町ホームページ

  猪苗代観光協会ホームページ
  猪苗代町商工会ホームページ

≪観光案内≫
  猪苗代観光協会は、こちら。
  猪苗代町役場 商工観光課は、こちら。

猪苗代湖

翁島 ≪翁 島≫
 唯一の島で、渇水期には陸続きになる。
 島内には翁明神があり、数多くの僧が修行をつんだというが、現在は無人島。
 老夫婦が住んでいたからともいわれるが、語り継がれている"翁島伝説"がある。
 

<「河東町周辺」「湖水浴」と併記>

長浜 ≪長浜 (ながはま)≫
  国道49号すぐ脇にあり、砂浜は短い。
  志田浜に次いで、観光客が多い浜である。
 ▲(猪苗代町翁沢長浜)

「かめ丸」「はくちょう丸」


 遊覧船 (かめ丸、はくちょう丸) の乗り場がある。
 令和2(2020)年6月15日、新型コロナの影響で「磐梯観光」が破産し業務停止したが、令和3(2021)年、新たに運営会社「猪苗代観光船」が設立され、10月29日に再開された。
 令和4(2022)年7月26日、2年ぶりに「かめ丸」も予約制の湖上レストランとして再開。


蟹沢浜 ≪蟹沢浜 (かにさわはま)≫
  国道49号沿いにある砂浜。
  隣接して県営翁島マリーナがある。
  ▲(猪苗代町大字翁沢字浜下)

天神浜 ≪天神浜 (てんじんはま)≫
  日本三大天満宮とされる小平天満宮の前にある浜。
  遠浅の場所もあり、砂浜も長い。
  湖と磐梯山とが調和し、眺めが素晴らしい。
  日本の白砂青松100選の1つ。
  ▲(猪苗代町中小松)

志田浜 ≪志田浜 (しだはま)≫
  国道49号線沿いにあり、猪苗代湖の中で最も賑わっている浜。  レストランや土産物店、複数の宿もある。
  年間を通して、家族連れなどの観光客が多い。
  冬季を除き、遊覧船 (所要時間 35分) も運行している。
  冬は、白鳥やカモの越冬地。
  昔の夏には花火大会が催されたが、あまりの渋滞で中止された。
  毎年9月開催の"猪苗代湖畔マラソン大会"のスタート地点。
  「自由の女神」に間違えられる像が建っているが、「栄光の女神」である。
  ▲(猪苗代町志田浜)

上戸浜 ≪上戸浜 (じょうこはま)≫
  東岸に位置し、夕陽がきれいに見える場所として有名。
  郡山から国道49号で会津へ向かうと、最初に出会う猪苗代湖の浜。
  ▲(猪苗代町上戸浜)

  (問い合せ)  猪苗代町役場総務課 Tel: 0242-62-2111

≪会津若松市側の浜は、こちら。≫

野口英世の生家、野口英世記念館   ネットで見学

 昭和14(1939)年5月21日、開館。
 茅葺き屋根の平屋が、当時のまま残されている。
 幼児の時に左手を火傷した囲炉裏や、田舎を後にする時に、決意文を刻んだ床柱などが保存されている。
   「志を得ざれば、再び此地を踏まず
 野口英世記念館には、博士の数々の遺品が展示されている。
 中でも、母のシカが仮名で書き綴った手紙は、心が打たれる。 必見もの。
 ▲有料 (猪苗代町大字三ツ和字前田81 Tel. 0242-65-2319 〔HP〕)

 明治9(1876)年11月9日に、猪苗代湖畔の貧しい農家に生まれ、1歳半の時も囲炉裏に落ち火傷を負う。  若松の會陽医院で手術を受け、1年後に同病院の薬局生となり、医学の道に進む。  20歳で医術開業前期試験に合格、翌年、異例の若さで、医術開業後期試験に合格し、順天堂医院に勤務する。  その後、細菌学的医学権威の最後の一人ともいわれ、ガーナで黄熱病原を研究中に感染、51歳で亡くなる。
との話しは、あまりにも有名。
 野口英世博士の略歴は、こちら。

 東京・上野の科学博物館前に野口英世の銅像があるが、世界中には150を超える像が設置されており、ロックフェラー大学の図書館入り口にも、ロックフェラー1世と左右に対で胸像が並んでいる。
 会津にある銅像は、こちら。

 平成16(2004)年11月1日発行の日本銀行券の千円券肖像になった。

野口英世の里郵便局
野口英世の里郵便局  近くに「野口英世の里」の名の郵便局がある。
 人物のフルネームの郵便局としては、日本初。
 平成16(2004)年、「翁島郵便局」から「野口英世の里郵便局」へ改称。
 国内外の野口英世の国内外の記念切手を展示しているコーナーもあり、記念の消印のため訪れる人も多い。
 地方限定の記念切手を発売 (売れ切れ御免) しており、ハガキを購入すると日付の入ったスタンプを押してくれる。
 ▲(猪苗代町三ツ和沢目327-3 Tel. 0242-65-2900)

会津民俗館         ネットで見学

会津民俗館

 昭和42(1967)年、創立。
 江戸中期の民家である佐々木家住宅・馬場家住宅、の2棟が移築されている。
  ◇ 旧馬場家住宅 国指定重要文化財
  ◇ 製蝋用具   国指定重要有形民俗文化財
  ◇ 蝋釜屋    国指定重要有形民俗文化財
 会津で一番古い水車小屋、子安観音堂などがある。
 館内には、作業着の“サシコ”など民具類なども展示されている。
 野口英世の生家の近くにある。

 ▲(猪苗代町大字三ツ和字前田33-1 Tel. 0242-65-2600)
   ・夏期 平日 8時30分〜17時、夏期 土・日・祭日 8時〜17時
    冬期(11月16日〜3月31日) 9時〜16時30分
   ・定休日 無休(冬期は木曜日)

▲(猪苗代町大字三ツ和字村東85)

世界のガラス館

世界のガラス館

 世界中のガラス工芸品が集められた美術館。
 1階の売店では、1個200円のアクセサリーから、1億円を超すシャンデリアまでが販売されていた。
 2階は、国内でも屈指の大規模ガラス専門展示館。
 ▲(Tel. 0242-63-0100 〔HP〕)
   ・8時30分〜17時30分 (無休)

猪苗代地ビール館

猪苗代地ビール館

 建物の総面積600坪、2階でレンガ外壁の建物。
 本場ドイツ製の醸造機械で、原料のモルトやホップ、酵母もドイツから輸入とのこと。
 2階は、ビアレストランになっている。
 県内初の、地ビールをメインにした新しい観光名所。
 ▲(Tel. 0242-63-2177)
   ・9時20分〜18時(年中無休)
    ただし、11月11日〜12月10日は、9時20分〜17時
         12月11日〜3月10日は、9時20分〜16時

猪苗代おかし館

猪苗代おかし館

 古来からの銘菓というより今風の美味しい菓子が勢ぞろい。
 「オリジナルチーズケーキ」「手作り生キャラメル」「生チョコケーキ」「クッキーがお土産として人気とのこと。
 磐梯山の名水を使い、合成保存料や着色料を一切使用していないのも売り。
 ▲(Tel. 0242-63-0005)
    ・9:30〜17:00 (土日祝日 〜18:00)、無休

天鏡閣

天鏡閣入口

 明治40(1907)年、明治天皇の代巡として有栖川宮殿下が会津に来られた時、猪苗代湖畔の景色の美しさを賞美され、翌41年に御別邸を建てられた。
 国指定重要文化財
 「天鏡閣」の名は、大正天皇によって命名された。
 昭和天皇・皇后が、新婚の1ヶ月間を過ごされたことで有名。
 ▲館内は有料 (猪苗代町大字翁沢字御殿山1048-14 Tel. 0242-65-2811)
   ・午前9時〜午後4時30分(年中無休)
   ・見学時間 40分

旧高松宮翁島別邸 (県迎賓館)

旧高松宮翁島別邸入口

 洋風の天鏡閣に対して和風の翁島別邸は、小路をはさんで300メートルほどの場所にある。 有栖川威仁親王の妃慰子殿下が、大正11(1922)年に建てられた。
 総檜づくりで、釘は一本も使わずに建てられている。
 昭和27(1952)年、敷地と建造物一切を下賜。
 国指定重要文化財
 ▲(猪苗代町大字翁沢字畑田1072-4)

三方石 (さんぽういし)   ネットで立寄り

三方石

 湖畔の森自然散策路「おもいでの小径」にある巨大な天然石。 麻耶郡・河沼郡・北会津郡の3郡に分ける地点から。
 ここから展望する猪苗代湖磐梯山は絶景。
 その素晴らしさを記した「天鏡閣記」を、有栖川親王妃が刻ませた。

 ▲(猪苗代町翁沢)

南ヶ丘牧場

南ヶ丘牧場のレストラン・売店

 ジンギスカン料理などを味わったり、馬や羊たちと触れあったり、アーチェリー、パターゴルフで楽しんだり、宿泊もできる。

 ▲(猪苗代町大字磐根字遠山1039-38
     Tel. 0242-65-2707 〔HP〕)

町営 緑の村

沼尻軽便鉄道

沼尻軽便鉄道
 大正2年の開通から昭和44(1969)年の廃線まで、57年間にわたり硫黄鉱石を運ぶ。
 沼尻駅と川桁駅の約16kmを、所要時間45分で走る唯一の交通機関であり、湯治客やスキーなどの観光客にも利用され、「マッチ箱」 「豆汽車」と呼ばれ親しまれた。
 当時の機関車と客車は、緑の村に展示されている。
 昭和29(1954)年、大ヒットした歌謡曲の 「高原列車は行く」 のモデルでもある。
 最近9月下旬ごろ、沼尻軽便鉄道の軌道敷跡の約16km (約20,000歩) を歩く「懐かしの沼尻軽便鉄道ウォーキング」が開催されている。
 路線跡については、こちら。   <「SL(蒸気機関車)に会う」欄と併記>

駅舎亭
 大正11(1922)年、旧国鉄/爺島駅3代目駅舎として建築。
 昭和天皇・皇后が、新婚旅行でご逗留の 貴賓室がある。 ルネッサンス洋式で、鉄道史として貴重な建物。
 昭和62(1987)年、この地に移築・復元された。
 猪苗代産のそば粉を使い、昔懐かしい素朴な風味の 手打ち蕎麦が味わえる。
 緑の村は、平成元(1989)年に開園したテーマパーク。
 軽便鉄道や駅舎亭のほかに、 淡水魚館展示館バーベキューハウス釣堀陶芸体験/宗龍窯耕作体験/どんぐり 等がある。
 平成27(2015)年、ふくしま海洋科学館へ管理委託し、名称/淡水魚館を「アクアマリンいなわしろカワセミ水族館」へ変更、希少種などを繁殖・展示で人気急上昇中。

 ▲(猪苗代町長田字東中丸344-4 Tel. 0242-65-2841)
   ・休館 水曜日、11月下旬から4月中旬

猪苗代ハーブ園

猪苗代ハーブ園(ホテルリステル猪苗代)

 ホテルリステル猪苗代の敷地内にある約7万平方メートルのハーブ園。
 猪苗代の気候と土壌にあったラベンダー、ミント、カモマイルなどのハーブ約60種40,000株が季節ごとに咲く。
 敷地内には、パターゴルフ、バギーカートなども楽しめる。
 冬の敷地内のスキー場は、首都圏からの客で賑わう。

 ▲ホテルリステル猪苗代(猪苗代町大字川桁リステルパーク Tel.  0242-66-2690)
   ・4月〜10月末までの、9時〜17時

亀ヶ城跡 (猪苗代城)

亀ヶ城跡

 奥州征伐により会津四郡を与えられた佐原盛連公の長男/経連によって、建久2(1191)年に築かれた。
 本格的な築城法によって築かれた日本最古の平山城。
 佐原義連公は三浦氏の一族で、蘆名氏の始祖。
 天正17(1589)年、摺上原の戦いで、蘆名義広公が伊達軍に敗れたため、14代続いた蘆名氏の時代は終わった。
 慶長20(1615)年の一国一城令でも特例として破却されず、黒川城 (鶴ヶ城) の支城として維持され、戊辰の役まで会津藩の東の要として残る。
 この地は、奥州街道と米沢へ至る街道との分岐点であり、防衛線として重要視されていた。
 保科時代になると、藩祖/保科正之公の墓守の任も担っていた。
 本丸の石垣、二の丸の櫓門跡、二ノ郭の堀切などの土塁や空堀が残っている。
亀城鐘楼跡  現在は、亀ヶ城公園または城山公園と呼ばれている。
 現地の案内板  【見取図】  【説明文】。  [絵図]  [配置]  [配置A]
亀城鐘楼跡  隣接した小学校の入口脇に「亀城鐘楼跡」の石碑がある。

 ▲(猪苗代町古城町)

   入口に浦上宗保(むねやす)の顕彰碑がある。
 南画家/浦上玉堂の孫、秋琴の倅。
 戊辰の役の戦が終わると、猪苗代にて塾「静修塾(せいしゅうじゅく)」を開く。
 門人が数百人に及んだという。


 城内の稲荷神社境内には上島松庵(良蔵)の顕彰碑もある。

他の城館については、こちら

旧山内家住宅

旧山内家住宅

 文化9(1812)年、中農の家屋として建築。
 茅葺き屋根の直屋、寄棟づくりの建物。
 江戸末期の村役人層の住宅といわれ、中農の形態を知る上で重要な建物。
 昭和49(1974)年、三ツ和字砂川から移築し復元。
 積雪などの適応のため、完全な原形の復元はしていない。
 毎年行われる「おシンさんの嫁入り行列」の花嫁宅となっている。
 (昭和初期の結婚式を、忠実に再現した催し物)。

 ▲(猪苗代町字古城町132-7 公民館隣)
   ・9時〜17時
   ・休館 12月〜3月

十六橋 (じゅうろくばし)

十六橋

 猪苗代湖に近い所の日橋川にかかる橋で、猪苗代町と会津若松市をつなぐ。 弘法大師が、16の塚を築き橋を渡したとのことから、名付けられた。
 日橋川は、安積疏水が出来るまで猪苗代湖から流れ出る唯一の川であり、旧二本松街道(旧若松街道)の要衝であった。
 平成14(2002)年、土木遺産「安積疏水関連施設」に認定。  令和 3(2021)年、近代化産業遺産「十六橋水門」に認定。
 戊辰の役の際、この橋を壊せば若松の侵入は難しくなるはずだった。
 しかし、あまりに強固に造られていたため、壊すのに手間取り、侵入を許すことになる。
 白虎隊の激戦地で有名な戸ノ口原古戦場は、この近くにある。

<戸ノ口原古戦場と併記>  .

 ▲(猪苗代町翁沢大字船場〜会津若松市湊町赤井戸ノ口30-2-31)

見弥の大石

 明治21(1888)年に磐梯山が噴火した時、大きな輝石安山岩の塊が、火山性泥流によって運ばれた。
見弥の大石  長さ9メートル、高さ3メートル、幅6メートルの巨石が、噴火口から5キロも流された。 火山性泥流のすごさを証明するものとして、学術的にも貴重なもの。
 国指定天然記念物
 ▲見禰の大石(猪苗代町見弥)

玄翁石 (げんのうせき)

 源翁禅師 (通称/玄翁) が、那須の殺生石を諫め成仏させた際、一喝で石の大半は砕け、飛び散った。
 その時の欠けらの1つが、この地に飛んできた。
 後難がないようにと源翁禅師が、さらに石を割ったと伝えられている。
  高さ3メートル、幅7メートルほどの石は、真中で割れている。


 禅師が踏ん張ってできた足跡?が、くっきりと残っている。

 ▲(猪苗代町土田)
   ・土田集落の外れ、農道の木標が目印

十八間蔵

十八間蔵

 明治18(1885)年建造の酒蔵。
 棟上げ用の20間の松材を運ぶ途中、町の角を曲がりきれず、2間ほど切り落としたという逸話から、名付けられたという。
はじまりの美術館 、平成26(2014)年、改修され、「はじまりの美術館」として開館し、イベント会場などにも利用されている。

 ▲(猪苗代町新町4875-2)

保科正之公の墓 (土津神社)      ネットで参拝

保科正之の墓  会津松平藩の始祖。
 2代将軍/秀忠の第4子として誕生。 3代将軍/家光の弟。
 高遠藩の養子に迎えられ、寛永20(1643)年に会津を受領。
 家光と家綱を補佐し、幕閣に重きをなした。
 甥にあたる家綱が11歳で第4代将軍に就任したため、補佐役 (大政参与) の役と云うより実質的に幕政を取り仕切り、武断政治から文治政治へ切り替えるなど革新的な政策を推進し、徳川幕府の体質を改善した。
 明暦の大火では、徳川時代を通じて最も秀でた対処力を発揮している。
 災害時の迅速な諸施策は、現在でも鏡とされている。
 遺言通り死後、見祢山山麓の磐椅神社の西方に祀られた。
 墓は、国指定の史跡
 土津神社の右側の石畳の道を登った奥の院にある。 車でも行ける。
 2代目以降の藩主は、会津若松市院内に葬られている。
 戊辰の役の時に豪商/長尾和俊たちは、西軍が没収・略奪し消滅させようとするのを聞き、会津一円に墓品活動を起こして買い戻し、松平家に献上した功績により今に残る事ができた。

 ▲(猪苗代町見弥山1番地 Tel. 0242-62-2160)
   ・保科正之公については、こちら。
   ・略歴については、こちら。
   ・土津神社については、こちら。

田中正玄の墓

 田中三郎兵衛正玄。
 寛文12(1672)年に没、享年62歳。
 藩主/保科正之公の家老を34年間 勤め、正之公が幼い将軍/家綱の補佐で不在の間に、会津藩を取り仕切った。
 猪苗代城代も、5年間務めている。
 正之公が、猪苗代に埋葬するよう遺言した理由は、この地の墓の存在が一因とされる。
田中正玄の墓の説明文  信条は有名で、今でも為政者に仕える者の教訓とされる。
   「君の心を正すこと、士を愛すること、庶民をあわれむこと
 江戸幕府の大老/土井利勝は、名家老として、
   ◇ 会津藩の田中正玄
   ◇ 尾張藩の成瀬隼人 (正成)
   ◇ 紀伊田辺藩の安藤帯刀 (直次)
を挙げ、さらに3人の中で 正玄が最も優れていると評している。
 磐椅神社への途中の運動場裏で分かり難かったが、最近、案内の標柱が設置された。

 ▲(猪苗代町見弥山)

服部安休の墓

服部安休の墓

 織田信長の小姓/森蘭丸の孫。
 寛文4(1664)年、保科正之公の命により、 吉川惟足から神道を学ぶ。
 寛文12(1672)年、会津領の神社管領に就任。
 延宝3(1675)年、土津神社の初代神官となる。
 天和元(1681)年、死去。遺言により主君の眠る地に埋葬。
 土津神社前の町営無料駐車場の奥に、入口の案内柱がある。
 ▲(猪苗代町見弥山)


キリシタン塚

 服部安休墓の後ろの斜面下にある。
 慶長14(1609)年、蒲生氏郷公の三奉行の1人/岡守四郎右衛門左内が猪苗代城代 (亀ヶ城) に就くと、外堀の内側に「天主の宮」・城下の北側に「セミナリオ」を建てている。
 名の「守」が「かみ=神」に通じ恐れ多いとして自らは「岡越後」と名乗るほど熱心なキリシタン武将であったため、急速にキリスト教が広まった。
 元和8(1622)年、城代/岡越後が罷免され岡左衛門佐に代わるや、キリシタン弾圧がはじまる。
 藩主が蒲生忠郷公の時代になっており、母が徳川家康の3女/振姫であったこともあり、将軍からの命に従わざるを得なかった。
 近くにあった「成就院」の境内で処刑され、この地に埋められたと言い伝えられていた。
 近年、若松カトリック教会の調査により、言い伝えられた通り多数の人骨が出てきた。
 ▲(猪苗代町見弥山)

平盛胤の墓

平盛胤の墓

 亀ヶ城最後の城主 (13代・14代) で、猪苗代盛胤とも。 約400年の歴史を持つ猪苗代氏の墓で、現存している唯一のもの。
 永禄8(1565)年、猪苗代城主/盛国の嫡子/として誕生。
 天正13(1585)年、父/盛国から家督を譲られる。
 天正16(1588)年、父/盛国が後妻との子/宗国を溺愛し廃嫡され、城から追い払われる。
 天正17(1589)年、摺上原の戦いで父/盛国は伊達側に寝返るも、盛胤は最後まで蘆名氏に義を貫き奮戦するが、父とは戦えないと刃を交えなかった。 深手を負うと横沢 (郡山市湖南町) へ逃れ、蘆名義広公と合流し、常陸国へ落ち延びる。
 後に義広公が角館へ移封されると、故郷の猪苗代に戻る。
 寛永18(1641)年11月18日、内野の地で生涯を終える (77歳)。
 遺徳を慕った旧領民/臼井平右衛門らが建立した五輪塔が、近くの五輪原にある。
 途中に1個だけ標識はあるが、地元民の案内なしには分からない。
 ▲(猪苗代町内野)

  五輪塔
 大小6基の五輪塔で、一番大きい高さ3メートルの塔が盛胤、残り小さい塔は家族のものと伝わる。
 明暦4(1658)年7月5日、盛胤の遺徳を偲び、百目貫村の旧領民/臼井平右衛門らが建立。
 昭和41(1966)年、国立磐梯青年の家建設の際、50mほど南の旧二本松街道沿いから移された。
 ▲(猪苗代町五輪原7136辺り)

「名刹と神社」は、こちら。

三忠碑

三忠碑

 嘉永3(1850)年、主君のために戦死した蘆名氏家臣3名を讃え、嘉永3(1850)年に松平容敬公が古戦場跡に建立した碑。
 天正17(1589)年、会津に侵略した伊達正宗公と、会津領主/蘆名義広公・佐竹氏とが摺上原で戦った。
 その戦で、金上盛備佐瀬種常、佐瀬常雄が、義広公を救うため討ち死にした。  碑文は、儒学者の高津平蔵が撰文、書の文字は唐の顔真卿の書体を集めて刻んだとのこと。

摺上原

《この辺り一帯が摺上原》


 ▲(猪苗代町長田 五十軒集落の北側)

天司のけやき (天子神社の跡地)

天司のけやき

 幹周が15mもありケヤキ種として日本一の巨木であることを、環境省が証明しています。
 また、あらゆる樹種を含め県内一の巨木でもあります。
 天司の名はキリスト教弾圧の時代、隠れキリシタンが密かにこの木を信仰の対象として、天主(ゼウス)を天司と偽って呼んだことに由来するといわれています。
  (猪苗代町役場ホームページより)
 日本一の巨木/ケヤキの根元には、天主堂の礎石が残っている。
 ▲(猪苗代町裏町)

磐梯山ゴールドライン

磐梯山ゴールドラインの桧原湖側入口

 磐梯町と磐梯高原・桧原湖の南を、17.6キロで結ぶ高原道路。 間近に見られる磐梯山の爆裂口は、感動ものである。
 途中から猪苗代湖が、幻想的な姿をあらわす。
 落葉樹海の絶景の中を縫うように、ヘアピンカーブが続く。
 新緑や、紅葉の名所としても知られる。
 所要時間は、30分位。
 冬期(11月中旬〜4月中旬)は、通行不可。
 名前の由来は、民謡「会津磐梯山」の「 エイーヤー 会津磐梯山は 宝の山よ 」から。

磐梯吾妻レークライン

磐梯吾妻レークライン

 磐梯高原と磐梯吾妻スカイラインを、最短距離13.1キロで結ぶ高原道路。
 秋元湖、中津川渓谷、小野川湖桧原湖のすべてを通る。
 最高地点の三湖パラダイスでは、眼下に秋元湖、小野川湖、桧原湖の絶景を堪能できる。
 新緑や紅葉の名所。 所要時間は、20分位。
 冬期(11月中旬〜4月中旬)は、通行不可。

≪中津川渓谷≫   
 磐梯吾妻レークライン最大の景観と言われる。
 「いなわしろ新八景」の1つ
 中津川渓谷レストハウスに広い無料駐車場があり、遊歩道入口 (片道 15分〜20分) がある。
 ▲(猪苗代町若宮
   〜北塩原村大字桧原)

母成グリーンライン

母成グリーンラインの磐梯熱海寄り料金所跡

 中の沢温泉と磐梯熱海温泉を、10.6キロで結ぶ高原道路。
 所要時間は、20分位。
 沿線には、あやめ園、100名瀑に選ばれている銚子ヶ滝戊辰戦役母成峠古戦場万葉の庭などがある。
 古くは、八幡太郎義家が会津入りした通路である。
 伊達政宗公が会津に攻めた時も、戊辰の役の西軍も、ここから侵略した。

磐梯吾妻スカイライン

一切経山

 土湯峠と高湯温泉を、28.7キロで結ぶ高原道路。
 吾妻連峰の山並みを縫って、最高標高1,622メートル、平均標高1,350mの絶景を走る。 「日本の道100選」に選ばれており、展望ポイントが次々と現れる。
 所要時間は、45分位。
 冬期(11月中旬〜4月上旬)は、通行不可。

達沢不動滝         

達沢不動滝

 樽川 (不動川) にある滝で、不動尊が祀られている。
 男滝(おだき)と呼ばれており、落差は10メートルほどだが幅は16メートルもあり、珍しく構図が美しい滝である。
 カレンダーや写真集のほか、テレビや雑誌などのマスコミにも、よく出ている。
 近くに、落差15メートル、幅8メートルを静かに流れ落ちる女滝(めだき)もある。  
 いなわしろ新八景の1つであり、県の水三十選ふくしま緑の百景にも選ばれている。
 林野庁の風景林に選定。
 中の沢温泉から近く、新緑や紅葉の時期は賑わう。

 ▲(猪苗代町達沢)
   ・散策所要時間 60分

達沢の原生林
 鎮守大山神社より上は達沢部落の「神の木」とされ、伐採してはならぬとの言い伝えから、現在に残された貴重な原生林。
 コナラ・トチノキ・ヤマモミジ・ヤマザクラ・イタヤカエデ・アカマツなどの大樹が自然形態のままに残っていて、集落の近くに存在する全国的にも極めて貴重な原生林。
 達沢不動滝の駐車場から滝まで、徒歩10分ほどの原生林散策がお勧め。
 コナラ・トチノキ・ヤマモミ・ヤマザクラが県指定天然記念物、県指定緑の文化財。
 ▲(猪苗代町達沢〜猪苗代町蚕養)

名 水

 猪苗代には数多くの湧水はあるが、水道水として利用しているため、ほとんどが一般人の立入禁止になっている

白糸の滝

 安達太良山/硫黄高山の跡地から湧き出ている温泉水の湯の滝 (硫黄川)。
 落差150メートルの断崖を流れ落ち、温泉の滝としては日本一。
 沼尻温泉の奥にあり、直接は行けないが、安達太良山/沼尻登山口から徒歩5分の展望台から一望一望することができる。
 紅葉の時期は、色どりが映える名所。
 林野庁の風致探勝林に選定。
 ▲(猪苗代町大字蚕養)

中ノ沢こけし (たこ坊主)

 大正時代、日光出身(宇都宮とも)の岩本善吉が、この地で作りだした"こけし"。
 ギョロ目、大きな鼻に、独特のユニークさがある。

 ▲会津中ノ沢たこ坊主会
   (猪苗代町大字若宮字ヘクリ甲2372-10
    Tel. 0242-64-2617)

磐梯山展望箇所

磐梯山展望箇所

 猪苗代塩川線 (県道7号) の「緑の村交差点」から磐梯町に向かって、2.6キロほど先の左手にある。
 1車線分を追加したような広さの駐車スペース。
 トイレなど何もない。
 晴れていれば、磐梯山を眺望するというより、裾野に抱かれるような景色が広がっている。

道の駅 猪苗代

 平成28(2016)年11月19日、オープン。
 火山や豪雪などの災害に備えた国土交通省の重点「道の駅」に選定され、防災拠点機能やヘリポートを有している。
 同時に、RVパークも開設。
 猪苗代スキー場のゴンドラ4台設置されていて、食事に利用可能と記載されていた。
 ▲(猪苗代町大字堅田字五百苅1 Tel. 0242-36-7676  〔HP〕  〔HP〕)

スキー場

  ・箕輪スキー場(Tel. 0242-64-3377)  《林野庁選定の野外スポーツ地域
  ・猪苗代スキー場(Tel. 0242-62-3200)
    《RVパークが併設》  《林野庁選定の野外スポーツ地域
  ・猪苗代リゾートスキー場(Tel. 0242-65-2131)
  ・沼尻スキー場(Tel. 0242-67-1250)  《林野庁選定の野外スポーツ地域
  ・リステルスキーファンタジア(Tel. 0242-66-4111)
  ・横向温泉スキー場(Tel. 0242-64-3911)
  ・ファミリースノーパークばんだい×2(Tel. 0242-93-8530)

夏の箕輪スキー場 夏の猪苗代スキー場 夏の猪苗代リゾートスキー場 夏の沼尻スキー場 夏のリステルスキーファンタジア 夏の横向温泉スキー場 夏のばんだい×2スキー場

桜開花の季節なら、全国的にも知られる「観音寺川の桜」が必見。

温泉については、こちら。

文化財 道標 コンパス松 秋元発電所 沼ノ倉発電所
松亭・小林栄ふるさと記念館 白糸の滝<沼尻>
《一里塚》   御上覧場一里塚 楊枝一里塚

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