会 津 若 松 市 の 見 ど こ ろ

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東  山  温  泉  周  辺

東山温泉          ぶらり朝散歩

 元々は天寧寺の湯であったが、保科正之公の入府で一般庶民に解放され、藩の湯治場としても整備され、奥座敷として栄え発達した歴史ある温泉街。
 奥羽三楽郷 上山温泉湯野浜温泉) の一つ。
 「冬が最も似合う温泉地」ともいわれる。
 [由来・伝説] については、こちら

竹久夢二の碑(宵待草)  竹久夢二与謝野晶子などにも、こよなく愛された温泉でもある。  竹久夢二は、3度、逗留している。
 その時に描いた美人画が、旅館に残されている。
 温泉街には、彼が作詞した「宵待草」の歌碑もある。

 手塚治虫が愛した地でもあり、3度、逗留している。
 アニメ「ヤッターマン」の総監督/笹川ひろしが連れ出した。
竹久夢二の碑(宵待草)  昭和34(1959)年の少年サンデー「スリル博士第4話」は、ここで描かれた。
 自然景観指定緑地の1つ (第28号)。

 ・会津藩主の別荘であった「新瀧 (現/くつろぎ宿 新滝)」
 ・会津藩の保養所であった「きつね湯 (現/向瀧)」
 ・会津藩の座敷役場であった「庄助の宿 瀧の湯
 ・新選組/土方歳三が傷を癒した「不動滝 (現/くつろぎ宿 新滝の別館)」
などが現存しており、今も営業している。
 旅館の名に冠せられるほど滝が多く、「東山四大滝」と呼ばれている滝も近くにある。
 会津民踊で有名な「小原庄助」ゆかりのある温泉でもある。
   ♪♪ 朝寝、朝酒、朝湯が大好きで〜 ♪♪ (会津磐梯山)

 毎年8月には、湯川にかかる橋を利用して、温泉街を一周するほどの盆踊りが開かれる。
 「会津東山温泉 日本一の盆踊り」と題するほど、多くの人で賑わう。
 ☆泉質 硫酸塩泉 (ナトリウム-カルシウム-硫酸塩・塩化物泉)
   効能 切傷、火傷、虚弱児童、リウマチ、慢性皮膚炎、創傷、動脈硬化症、高血圧、
       虚弱体質、慢性婦人病、更年期障害
      (一般的適応症) 神経痛、筋肉痛、関節痛、打ち身、慢性消化器病、痔疾、冷え性、
       病後回復、疲労回復、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、くじき、健康増進など    温度 50℃〜60℃
 ▲東山温泉街 (会津若松市東山町湯本 〔HP〕) 鶴ヶ城から 3.3km  [古図]
   ・ぶらり朝散歩は、こちら。

≪向 瀧 (旅館)≫
 平成8(1996)年10月1日施行の文化財保護法の第1号物件として、国選定登録有形文化財となる。
 ◇ 登録番号第07-0001号 玄関 一棟
 ◇ 同 第07-0002号 はなれ 一棟
 ◇ 同 第07-0003号 客室棟(花月の間、梅の間他) 一棟
 ◇ 同 第07-0004号 客室棟(会議室、菊の間他) 一棟
 歴史的景観指定建造物 (第20号)にも指定。
 ▲(会津若松市東山町大字湯本字川向200 Tel. 0242-27-7501 〔HP〕)

湯川 ≪湯川≫
 布引山を水源とする総延長 28キロ・45キロの一級河川で、大川 (阿賀川) と合流した後、やがて日本海に注ぐ。
  古くは上流を羽黒山東光寺のある山の方面から流れ出るので「羽黒川」と呼ばれていた。
 やがて、羽が省略され「黒川」と呼ばれるようになり、川の南側に広がる町 (現/若松) の地名も黒川と称するようになる。
 東山温泉街を流れることから、今は「湯川」と呼ぶ。
 東山ダムが出来たことで数ある著名な滝も威容を失っており、流量も放水路が主流となった。

東山四大滝

 四大滝の他にも、さらに上流には、さまざまな無名の滝がたくさんある。
 上流にダムが建設されたため、かつてほどの水量はなく、滝としての勢いは失っている。
 ▲(会津若松市東山町湯本) 鶴ヶ城から 4.4km 〜 〜

雨降り滝 ≪雨降り滝≫    
 高さ10メートル、幅16メートルで、最大の滝。
 36段との大石に水が弾け、雨のように見えることから名付けられた。 上流にダムができる前は、名の通り見事だった。
 架かる橋の名は、「たきみはし」。
 道路の反対側の山際に、傘岩(からかさいわ)」がある。
 柱のようにそびえ立ち、見事な形状をしている柱状節理。

伏見ヶ滝

≪伏見ヶ滝≫
 上流にある雄滝と、下流にある雌滝からなる。
 雄滝は落差5メートル、雌滝は落差6メートル。
 この滝には、「藤身ヶ滝悲恋の伝説」がある。
  


原滝

≪原滝≫
 かつては、藩士の子弟の水練場があったという場所。
 今は、水量が少ない時は、確認も難しく、旅館名に残るのみ。


≪向滝≫
 巨岩の周りを、左右に分かれ、数段になって流れている滝。
 今は、水量が少ない時には認識も難しく、旅館名に残るのみ。
 東山温泉観光協会案内所の真下にあるが、無愛想な女職員に撮影を断られた。


 繁華街から県道325号湯川大町線を7〜8キロメートルほど南下する間に、意識していたわけではないのだが複数の滝に出会った。
滝  名は知らない。

     


会津武家屋敷        ネットで見物

 戊辰の役の戦火にさらされ、城下町は消失した。
 7千坪の敷地に、様々な建物などが復元、移築されている。
 メインは、400坪で35室の家老/西郷頼母の邸宅。
 全国に数ある武家屋敷の中で、唯一、昔の香りが残っているといわれている。

 旧中畑陣屋茶室藩米精米所なども復元されており、心の美術館/青龍なども軒を連ねる。
 佐々木只三郎の墓も、和歌山市の紀三井寺から移された。
 赤べこの絵付け、ガラス絵彫りなどの 体験教室 もある。
 手軽にできる"弓道体験"が人気。

 ▲有料 (会津若松市東山町石山院内1 Tel. 0242-28-2525 〔HP〕) 鶴ヶ城から 2.2km
   ・8時30分〜17時。(12月〜3月は、9時〜16時30分)
   ・年中無休
   ・見学時間 50分

背炙山(せあぶりやま)

 会津若松市内にある標高863メートルの山。
 会津盆地と猪苗代湖をへだてている。
 頂上からの眺めは雄大で、会津の展望台とも呼ばれている。
 会津平野や猪苗代湖のほか、
   ・北東には磐梯山や吾妻連峰、安達太良連峰
   ・北西には飯豊連峰
   ・南には大戸岳や小野岳
などが見渡せる。
背炙り山からの夜景  季節によっては、木々が視界をさえぎる時期がある。
 昭和47(1972)年、林野庁の自然休養林に指定。
 東山温泉から猪苗代方面に通じている県道が整備されており、車で上れる。 冬季の12月上旬から4月下旬は、閉鎖されるので注意。
 頂上から少し下がったところに、車中から市街地の夜景が堪能できる絶好ポイントがある。

石山遊歩道入口  温泉街から石山遊歩道入口があり、山頂までは1時間コース。
 一帯には、10コース以上の遊歩道が整備されている。
 関白平遊歩道、水沢遊歩道、水沢支線遊歩道も、比較的に良く整備されている。
 第一岩杉山遊歩道、第二岩杉山遊歩道、第三岩杉山遊歩道、白虎遊歩道、滝沢山遊歩道、三の滝遊歩道などは登山道であろう。
 加藤嘉明公が滝沢峠ルートを造るまでは白河街道のルートであった。 蘆名義広公が実家佐竹氏へ落ち延びたり、豊臣秀吉が会津入りに通ったルートである。
 「背炙」の由来は、猪苗代の人が若松へ仕事に出かける時の状況から名付けられた。
 出かける時には東から昇る朝日をあび、帰る時には沈む夕日を背中にあびる。
 いつしか「背中炙山」と呼ばれていたものが、短く「背炙」になった。


関白平 ≪関白平≫   [補足]
 秀吉が奥羽仕置の策を練った場所といわれている。
 一帯には、数千本のツツジがある。
 開花の時期には、一面が絨毯のように彩られる。
 昭和31(1956)年、東山温泉から背炙山の山頂近くを結ぶロープウェイが開設した際に名付けられた。


「おけい」の墓(碑) ≪「おけい」の墓(碑)≫  ネットで墓参
 頂上から少し下の黄金丘にある。
 日本の女性では、初めての移民である。
 熱病のため19歳で死去。
 昭和32(1957)年、カリフォルニア州ゴールドヒルにある墓と同じ形の墓碑が追善建立された。
 元のロープウェイ発着場であったので、会津盆地が良く見えて、見晴らしい眺望の良い場所でもある。
 “おけい”については、こちら。

背炙山公園野草ゾーンの看板 ≪背炙山公園野草ゾーン≫
 レストハウス駐車場の一画に、野草が植栽されている。
 超ミニミニだが、希少な草本も観察できる。
 市が管理しているとのこと。

頂上にある無料休憩所(レストハウス) ≪無料休憩所(レストハウス)≫
 頂上にあり、近くには冒険の森もあり、自然探勝には最適。
 野鳥の宝庫でもある。

 ▲背あぶり山レストハウス現地事務所 (Tel. 0242-28-0062)
   ・山頂の散策所要時間 30分〜50分
   ・見学自由
 [閑話]

会津藩主松平廟所        ネットで墓参
       The Aizu Clan Lords Matsudaira Family Tombs

御廟の正門入口

 東山温泉の入口にあり、院内の山中の森に包まれている広大な墓域。 「院内御廟」と呼ばれている。
 明暦3(1657)年、初代藩主/正之公の長男/正頼が夭折した時に草創。 以降、会津松平家墓所として、正之公を除く歴代の藩主と家族が眠っている。
 2代/正経公は仏葬であるが、それ以降の3代/正容公から10代/喜徳公まで、山頂に神葬されている。
 亀石の碑石、位階の表石、霊をまつる鎮石の三体形の墓になっている。
 明治26(1893)年に逝去した非運の容保は、この地への埋葬が許されず、汚名が晴れた大正6(1917)年に移葬された。

 墓域の総面積は、東西三百間、南北百五十間、約4万5千坪という広大な広さ。
 全国的にみても、大名御廟の中で類を見ないほどの規模を誇り、藩の力を感じる場所でもある。 国指定の史跡。 ふくしま緑の百景の1つ。
 毎年5月4日には、歴代藩主の霊を慰める「院内ご廟お花まつり」が執り行われている。
 ※「院内」とは、羽黒山神社と東光寺の境内 (院内) であることから。
   古くは「竹林坊」とも呼ばれていた。

 ▲(会津若松市東山町石山字院内/字墓山甲1731) 鶴ヶ城から 2.7km
   ・問合せ 会津若松市観光課 Tel. 0242-39-1251
   ・見学   自由
   ・所要   1時間〜1時間30分
   ・入場   無料
   ・駐車   入口に入らず東山温泉手前 100メートルほどにある (墓域前には無い)

<松平家院内御廟と併記>

近藤勇の墓 (天寧寺)   ネットで墓参

近藤勇の墓

 閏4月8日の深夜、京都/三条河原に晒された首を奪い取って、この地に埋葬した。
 会津を熱望し、向かう途中で露と消えたので、せめて魂を会津の地で永久の眠りに就かせたかったからであった。
 傷の治療をしていた土方歳三は、毎日欠かさず墓参りをしていたという。
 命日の4月25日には、墓前祭りが開かれる。
 戒名「貫天院殿純忠誠義大居士」の書は、松平容保による。
 戊辰の役の責を一身に背負った萱野権兵衛、その倅の郡長正、甲賀町口の守備で深手負い自刃した家老/田中土佐 (田中玄清) など殉難者の墓も多い。
 作家/早乙女貢の墓も、平成22(2010)年、この地に改葬された。

 ▲(会津若松市東山町石山天寧208 Tel. 0242-26-3906) 鶴ヶ城から 2.1km
   ・天寧寺については、こちら。

小笠原長時の墓 (大龍寺)

 武家の有職故実で知られる小笠原家の祖。
 信濃国の戦国大名であったが、塩尻峠の戦いで武田信玄に大敗し、信濃から追われる。
 その後、上杉謙信、足利義輝を頼ったが、織田信長が上洛すると流浪。
 やがて、蘆名盛氏公から、客分として手厚く迎えられる。
 天正10(1582)年、武田家が信長に滅ぼされ、旧領/信濃国への復帰が決まる。
 その最中に死去した。 信濃国は3男の小笠原貞慶が継いだ。
 天生11(1583)年、現/大龍寺の地に菩提所として慶山寺 (桂山寺とも) を創建。
 戊辰の役でも、小笠原家ゆかりの寺であったため、西軍に焼かれずに残った。


山本家之墓 (山本覚馬新島八重の先祖)

山本家の墓

 戊辰の役で荒廃し、後に若松の牧師/若月氏が山本家の墓地であることを見出した。
 昭和6(1931)年、先祖の墓を整えた際、八重直筆の墓標「山本家之墓所」を建立した。
   「山本権八女 京都在 新島八重建之
 今でも同志社大学から盆暮れの届けがあるとのこと。
 山本家は、会津藩/砲術師範の家柄だった。
 新島八重は、夫/譲とともに現/同志社大学を設立。
 山本覚馬は、設立のための土地を提供した。
 覚馬と八重の墓は、京都/若王子墓地にある。
 新島八重の略歴については、こちら。
 戊辰の役で戦死した父/権八の墓は、戦死した近くの一ノ堰/光明寺境内にある。
 八重自身も男装し、最新式銃を携えて参戦している。

 ▲(会津若松市慶山2-7-23 Tel. 0242-27-9376) 鶴ヶ城から 2.3km
   ・大龍寺については、こちら。

幽霊の墓 (正法寺)

幽霊の墓 幽霊の墓

 成仏できない幽霊を弔って、成仏させたと伝えられる墓がある。
 墓碑には、「即心即仏」と刻まれている。
 
  

 子供の頃、連れて行かれた時には、裏山の中腹にあったと記憶している。
幽霊清水からの池  現在は、参道脇にある無縁墓の最前列の中ほどにあった。

 幽霊がお礼にと湧き出させたとされる「幽霊清水」がある。
 戊辰の役で本堂など堂宇すべて焼失したが、山門だけ残った。 その際、本尊の阿弥陀如来像を「幽霊清水」に沈めて、戦火から難を逃れたという。
 ▲(会津若松市東山町大字石山字天寧196 Tel. 0242-28-0661) 鶴ヶ城から 1.9km
   ・正法寺については、こちら。

「名刹と神社」は、こちら。

ネパール博物館      ネットで見学

ネパール博物館(会津料理・鶴井筒)

 ネパール、インド、チベット地方の仏像や仏具、民芸品などが展示されている。
 郷土料理の鶴井筒の2階〜3階にあり、仏都会津にふさわしいミニ博物館。
 建物は、明治30年代に建てられた物。
 ここで食事をすると、入場料が無料になる。

 ▲(会津若松市東山町石山院内109-1 Tel. 0242-26-5629) 鶴ヶ城から 2.4km
   ・10時〜20時(12月〜3月は、10時〜17時)
   ・年中無休

近藤勇の説明板 東山発電所

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