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野口英世博士の生家、記念館

▲(猪苗代町大字三ツ和字前田81三城潟 Tel. 0242-65-2319)

以下の緑色の文は、現地の「説明板」から

記念館入口 記念館入口の像

記念館入口

 入り口で、英世博士の銅像が迎えてくれる。
 入場券を求め、館内に入る。
 館内を抜け、まず生家を見学。


生家の入口

生家の入口    .

 生家が、すぐ見える。 .

洗いものをした小川

洗いものをした小川

 敷地内に入ると、すぐ左手脇に洗い場がある。
 ちょっと昔 (昭和30年代初め) には、生活の1つとして利用され、当たり前のように見かけた風景であった。
 整備・清掃が行き届いていて、心地よい。
 片隅に雑草が生え、吹き溜まりに落ち葉などがあったであろう当時の風景が思い浮かぶ。

観音堂

観音堂

 大火傷を負わせたとの負い目からか、中田観音の月例祭には、30キロほどの道のりを歩いて詣でたと云う。
 日付が変わる真夜中に到着し、一晩、観音堂に「おこもり」をする「月詣り」をして、息子の無事を祈願し続けた。
 帰国した時に、英世も母と一緒に詣でている。

 中田観音の「おこもり大祭/四万八千日大祭」に合わせて、8月9日に祭礼が開かれている。

 1878 (明治11) 年4月、英世 (清作) が1歳半のときに大火傷を負わせてしまった母シカは、小さいころ祖母より教えられた観音経(かんのんきょう)(とな)え続けた。 そのときから母は、遠く離れた中田観音(なかたかんのん)を信仰し続けて、生涯(しょうがい)にわたり家族の無病息災(むびょうそくさい)祈願(きがん)した。
 本会ではその意志を継承し、1939 (昭和14) 年記念館の開館とともに救世観音(くせかんのん) (一葉観音) を祀った。 観音胎内(たいない)には小林栄先生がアメリカの英世に贈った念持仏(ねんじぶつ)が、台座(だいざ)には中田観音のご分霊(ぶんれい)が納められている。
 (御詠歌(ごえいか))  ははとこと ひとつふみねに さおさして よろずよまでも よをすくうらん


シカが植えた桑の木 シカが植えた桑の木

シカが植えた桑の木


 母シカは、生計を支えるため必死に働いた。 養蚕も重要な収入源で、時期になると家中が蚕棚でいっぱいになったと云う。

 ムシロに干されたエビが展示されている。
 「母シカが湖畔でよく採っていたエビ」と書かれている。
 貴重な現金収入の1つであったのだろう。
 昔の母は、よく働いた。



忍耐の碑 誕生碑

忍耐の碑と、誕生碑

 庭の片隅に、2つの碑が建っている。

誕生碑と忍耐の碑
 忍耐の碑には、英世直筆の書が刻まれている。
 誕生碑の下には、遺髪が埋葬されているとのこと。
 遺髪を埋葬した墓は、近くの長照寺にある。

  生 家

生家 生家 生家

 英世は、この家で16歳まで過ごした。
 文政6(1823)年に建てられたとのこと。
 当時としても、農家としては、狭い。 雪国であることを考えると、なお狭い。
 人の価値は、貧富ではないことが実感できる。

 エンドレスの映像案内が流れているので、しばし観賞しよう。

生家 生家 生家

火傷を負った囲炉裏

 1歳半の時、この囲炉裏に落ちて左手に火傷を負った。
 後に成す偉業のスタートでもあった。


英世の決意文 英世の決意文

英世の決意文

 明治29(1896)年9月、19歳の少年/英世が、上京の際に決意を刻んだ柱が見える。
  「志を得ざれば、再び此の地を踏まず

 文章そのものは見えないが、写真が掲示してある。


記念館内 記念館内

≪ 記 念 館 内 ≫

資料は充実している。
来館までのお楽しみ。


シカの手紙

 野口英世博士へ送った手紙は必見。
 館内の資料についても掲載して良いとのことであったが、この手紙は現地で読んで欲しいので、文章は来館までのお楽しみとした。
 母の心情が素朴で素直に表わされていて、心を打つ。

 傍らには、現代の標準語訳文が掲示されている。


野口英世の胸像 野口英世の胸像

胸 像

 入り口で迎えてくれた胸像の他に、館内にも2体が展示されている。
 像が建立されている場所の一覧表も掲示されている。
 現在、「163ヵ所」とのこと。
 会津にある銅像は、こちら。


野口博士の研究室

野口博士の研究室

 リアルな動く人形。
 身振り手振りで質問に答えてくれる。
 子どもが喜びそう。

野口博士の研究室 野口博士の研究室 野口博士の研究室


母・野口シカ 野口英世

偉大な母ありて、偉大な子あり

    母・野口シカ
      身長147cm

子・野口英世        .
身長153cm      .

  (現地板から抜粋)

誰もが知っている野口英世博士の偉業。
より理解するには、ぜひ生家を訪れよう。
博士の原点に触れあえば、感動も深まる。

母の願いは叶い、息子は成長した。
世界中の人々に貢献し、世界中の人々が称えた。
しかし、願いが叶うたびに、息子は遠くなっていく。
世界に、大きく羽ばたく。
今のように世界は狭くなく、母は田舎しか知らない。
米国とは、どのくらい遠く感じていたのだろうか。

博士は科学への献身により、人類のために生き、人類のため死せり
なすべき使命を果たし、長照寺にある母の墓前の左手前で、静かに眠っている。

 公益財団法人/野口英世記念会は、昭和32(1957)年から毎年、
野口英世が生前行った研究に関係の深い優秀な医学研究に対して
野口英世記念医学賞」を授与している。

野口英世博士の略歴については、こちら。

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