会 津 を 構 成 す る 市 町 村

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名 刹 と 神 社 ( 猪苗代町 )

吾妻山神社

 古来より人々に信仰されていた。
 白鳳14/朱鳥元(686)年、修験/小角が拝殿を創建。
 後に、弘法大師 (空海) が再興したという。
 天安2(858)年、藤原義円が山道を整備し、「吾妻山大権現」と称す。
 主祭神は、倭健命(やまとたけるのみこと)
 明治6(1873)年、大罪/廃仏毀釈により別当/成就院から吾妻山神社(あずまやまじんじゃ)となる。
 消滅に瀕した大半の仏像は、大龍寺の17世/太宗玄義和尚が引き取った。
 吾妻山神社跡は、吾妻山の山頂近くにある。
 途中に看板はあるが、山道は笹やぶなどで隠れ、ガイドが必要か?
 目印は、「奉納 吾妻山」の石碑。
 石の御神体が鎮座しており、岩の奥から温泉 (温泉の沢) が湧き出ている。
 山麓の市沢集落にある遥拝殿は、若宮八幡宮。

 ▲吾妻山神社跡 (猪苗代町若宮吾妻山   山頂の西側)
   社務所(猪苗代町大字若宮字上町甲1463 Tel. 0242-64-2910)


安穏寺 (あんのんじ)

安穏寺

 慶長6(1601)年、猪苗代城代/関十兵衛が創建し、僧/圓愚が開山 (キリスト教の洗礼・棄教が入り乱れた時代で詳細不詳)。
 寛永7(1630)年、関十兵衛の菩提寺として改めて開創。
 後に、快楽山(けらくざん)・曹洞宗として僧/泉朔が再興。
 本尊は、銅造阿弥陀如来立像。
 文永8(1271)年の銘があり、国認定重要美術品。
 像高39.1センチで、鋳仏としては会津最古。

 安置仏として八朔(はっさく)地蔵 (濡れ地蔵/2m60) があり、会津二十一地蔵尊の第二十一番
 濡れ地蔵とは、屋外のため雨に濡れるまま お立ちになっており、縁日の陰暦八月朔日 (現在は8月31日に開催) は梅雨の季節でもあることから呼ばれるようになった。
 猪苗代三十三観音の第二番

 ▲(猪苗代町字裏町437 Tel. 0242-62-2713)  [本尊]
   ・祭礼 8月31日八朔祭

磐椅神社 (いわはし ― )

 神功皇后摂政50(250)年、磐梯山頂に創建される。
 天平元(729)年、現在の地に遷座。  [絵図]
 延長5(927)年に完成した延喜式の会津式内3社 (蚕養国神社伊佐須美神社) の1つ。
 「陸奥国磐椅神に従四位下を贈る」記載の史料も現存。
 磐梯山の古名が「磐椅山(いわはしやま)」と呼ばれていた事に由来する。
 元々は、土着の信仰に基づく神体山崇拝の神社で、磐椅明神、峰明神として信仰。
 天正17(1589)年、会津侵攻した伊達軍により寺領が廃止され荒廃。
 入府した保科正之公により、寛文年間(1661〜1672)に再造営され再興。
 織田信長の小姓/森蘭丸の孫である服部安休の墓も近くにある。
 保科正之公に仕え、その命により土津神社の初代神官となる。
 民話の足長が大山祇神、手長が埴山姫神の祭神として祀られているとも。
   

鳥居杉 鳥居杉

《鳥居杉》
 承元元(1207)年、猪苗代城主/三浦経連 (佐原盛連公の長男) が磐椅神社を土田堤南から遷座した際に神木/鳥居の杉として植栽したとされ、樹齢が 810年を超える。
   樹高 36m・幹周り 7m
 町指定天然記念物、県指定緑の文化財。
 対になっていたが、昭和33(1958)の台風で1本が倒壊
 しばらくは半倒壊の状態でガンバっていたが、昭和61(1986)年に完全に倒壊してしまった。
 残り1本の途中の幹から、桜の木 (寄生木) が育っている。 杉と桜が縁を結んだことから、「えんむすび桜」 と呼ばれるようになった。


宝の水   

 神社境内に湧き出る霊水で、とても美味い。
 水量は毎分20リットルと多く、四季を通して水温は10℃弱なので、夏は冷たく冬は暖かい。

大鹿桜

大
鹿桜

 境内の本社手前の左側に位置する。
 会津五桜 (石部桜薄墨桜虎の尾桜糸桜) の一つ。
 花の色が、鹿の毛の彩りに似ていることから名付けられた。
 天暦年代(947〜957)、磐椅神社に参拝した村上天皇の勅使が、京都から苗木を持ってきて植えたとされる。

 ▲(猪苗代町西峯6199 Tel. 0242-62-4109)
   ・5月14日〜15日    春祭
   ・4月下旬から5月上旬 大鹿桜祭
   ・10月体育の日    例大祭

頭無不動尊 (かしらなし)

 明和9(1773)年、目を患った秋山平三郎が霊夢に導かれ滝に至り、不動尊1躯・童子2躯を刻み祀ったところ、たちまち治癒したと伝わる。
 目の病気に霊験あらたかに加え、弾除けの御利益があるとされ出征者や家族などで参拝者が絶えなかったという。
 野口英世母/シカ も目を洗ったとのこと。

      .

 ▲(猪苗代町大字長田字不動7126)


観音寺        Kannonji Hokyointo

観音寺

 建久3(1192)年、前年に築城の亀ヶ城城主として鎌倉から赴任した三浦経連が、川桁山に創建し三浦家の菩提寺とした。
 慈応山、曹洞宗。
 本尊は、木造/聖観音坐像。
 鎌倉から持ち込んだ寄木造りの像で、運慶作と伝えられる。
 元弘元/元徳3(1331)年、恵鑑和尚が中興。
 宝篋印塔は応永18(1411)年製で、貴重な銘文が刻まれている。
 天正17(1589)年、伊達正宗公により、すべての堂宇は破壊された。
 文禄元(1592)年、越後国/蘭室が現在地に再建し、宗ァが再び開山。
 たび重なる火災や戦乱に免れた山門は、桃山風に会津様式の加わった貴重な唐門。
 猪苗代三十三観音の第一番
 門前を流れる観音川は、サクラの名所

 ▲(猪苗代町大字川桁字村北2347
      Tel. 0242-66-2332)  [本尊]

小平潟天満宮 (こびらがた ―、小平天満宮)   周辺を散歩

 天歴2(948)年、創建。
 学問の神様である菅原道真を祀る。
 日本三大天満宮の一つ。
 天和2(1682)年、保科正経公により現在地に移される。
 室町末期の連歌の宗匠として和歌の基礎を作ったとされる猪苗代兼載は、この天満宮の申し子と伝えられる。
 明治初期に奉納された“算額”というものが所蔵されている。
 和算家が数学の問題や解答を書いたもの。
 代数、連分数、数列など学術的にも、彩色された図形は美術的にも、高い評価を受けている。
 日本で初めてボーイスカウトの野営大会が開かれたのは、この地である。

 ▲(猪苗代町大字中小松字西浜1615 Tel. 0242-66-2733)
   ・初天神 1月25日 、 例大祭 7月24日〜25日

西勝寺

西勝寺

 長徳2(996)年、僧/仁海が神野寺の末寺として草創。
 鎮護山、真言宗豊山派。
 本尊は、不動明王。
 天正年間(1573〜1591)、廃寺となった神野寺の山号を継承し、現在地に移る。
 昭和57(1982)年、本堂や庫裏、山門など再築。
 猪苗代三十三観音の第三番
 会津五色不動尊の奮起不動
 殉難者供養塔磐梯山災死者招魂之碑あり。

 ▲(猪苗代町字新町4897 Tel. 0242-62-2560)

寿徳寺 (じゅとくじ)

寿徳寺

 永正15(1518)年、関加賀が薬師像を刻み、中に牛玉を納め、一宇を創建する。
 後に、時宗の僧/金蔵が住持となり開山。
 寛永年間(16924〜1645)、真言の僧/秀海が寿徳寺と改称、若松台町/延寿院の末山として中興。
 田子山、真言宗豊山派。
 本尊は、薬師如来 (十二神将も所蔵)。
 寛文年間(1661〜1672)、現在地に移る。

 ▲(猪苗代町大字山潟字村上2540 Tel. 0242-66-2624)

蔵円寺

蔵円寺

 大永3(1523)年、葦名氏の一族/小檜山六郎盛季が創建し、僧/長応が開山。
蔵円寺  岩松山、曹洞宗。
 本尊は、釈迦如来。
 天正3(1575)年、檀越が中興。

 山門脇に、懐かしい二宮尊徳像があった。

 ▲(猪苗代町大字八幡字山根799-1 Tel. 0242-66-3787)

天徳寺

天徳寺

 建長6(1254)年、栄西の命を受けた栄海僧正が草創。
 毘蘆山、曹洞宗。 本尊は釈迦牟尼仏。
 天正2(1574)年、平盛勝が白木城村へ移す。
 慶長年間(1596〜1614)、久室全長大居士が再建。
 明治21(1888)年、磐梯山噴火で危険なため、現在地に移る。
 猪苗代三十三観音の第七番
 境内に、樹齢 800年とされる“一位 (いちい科)” の古木がある。
一位(いちい科)  「アカミ」とも呼ばれているとのこと。
 樹高 : 5.5m、株立ち : 6.8m。
 町指定天然記念物、県指定緑の文化財。
 磐梯山の噴火により寺院は白木城村から現在地に移されたが、一位の木は残された。
 しばらく経つと住職の夢枕に、この木の精が現れ、「寺と共に在りたい」 と告げたため移植された。

 ▲(猪苗代町大字蚕養字山根乙573 Tel. 0242-64-2205)

長照寺

 永禄元(1558)年、黙山和尚 (越後/光明寺3世) が草創。
 大宮山、曹洞宗。 本尊は聖観世音。
 慶長8(1603)年、光明寺/蘭室が中興。
野口英世夫妻の墓  野口英世/直筆の書「脱塵」を所蔵。
 猪苗代三十三観音の第三十三番
 御詠歌の版木を所蔵。


 磐梯山を背にした両親の墓の傍らに、新たに建立された野口英世夫妻の墓 .がある。
 蓮が開花時期の門前は、小さいながらも見事の一語に尽きる。

 ▲(猪苗代町大字三ツ和字三城潟982 Tel. 0242-65-2853)  [本尊]

土津神社 (はにつ ― )   ネットで参拝   HANITSU SHRINE

 保科正之公を御祭神とする神社。
 万物の初めであり終わりである「土」と、会津藩主の「津」を意味する霊神号「土津霊神」から。
 寛文12(1672)年8月、この地を訪れ詠じている。
 「万代と いはい来にけり 会津山 高天原に すみかもとめて
 同年12月に死去した。
 遺言通り死後、見祢山山麓の磐椅神社の西方に祀られた。
 延宝3(1675)年に、磐椅神社の末社として造営される。
 建築当時は、会津の日光東照宮と呼ばれるほど絢爛豪華だった。
 土津神社と墳墓を守るための集落「土町(はにまち)」は、年貢や賦役が免除されていた。
 戊辰の役で、すべてが焼失してしまう。
 会津藩が斗南に流刑となる時に、御神体も斗南藩に遷された。   [奉持之図]
 廃藩置県で斗南藩が消滅したため、明治7(1874)年に御神体を仮に磐梯神社へ移す。。
 明治13(1880)年、かつての荘厳さは失われたものの社殿が再建され、正遷座される。
 大正4(1815)年、増改築され、現在に至る。
 昭和62(1987)年5月12日、正之公の墳墓と土津神社一帯が、国の史跡に指定される。
 「太刀 (銘/吉房、鎌倉時代)」は、国指定重要文化財
 平成6(1994)年、札幌/琴似神社に土津霊神が合祀された。
巨大石碑
 境内の石碑は、高さ7.3メートル、重さ30トンもあり、日本最大の石碑である。
 院内御廟と同じく、伝説の亀趺にのっている。
 山崎闇斎が、功績を賞賛する碑文を書いた。
 現地の案内板  【見取図】  【説明文】

消滅の危機》 明治5(1872)年、豪商/長尾和俊たちは、西軍が没収・略奪し消滅させようとするのを聞き、会津一円に墓品活動を起こして買い戻し、松平家に献上した功績により、今に残る事ができた。

 ▲(猪苗代町見弥山1番地 Tel. 0242-62-2160 〔HP〕)
   ・5月3日春祭、9月21日秋祭

麓山神社 (はやま ― )

 大同元(806)年、土屋権大夫利胤が岩舘山へ勧進。
 祭神は、羽山祗命(はやまづみのみこと)
 永禄元(1558)年、現在地に移築。
 天正年間(1573〜1591)、三浦盛国が再建。
 安永3(1774)年、左右一対の左大臣菅原道真と右大臣藤原時平の石像が建立される。
 ▲(猪苗代町大字関都字権現山2119)
   ・祭礼 9月18日


麓山神社 <村ノ内>

麓山神社<村ノ内>

 村社。
 本来は仏像などを安置する厨子に神体を奉祀してあり、神仏混淆の古い院殿様式を残している。

 ▲(猪苗代町大字千代田字村ノ内丙177)


西円寺

西円寺

 慶長年間(1596〜1615)、宗入法師が野沢に一宇を草創。
 樹林山、浄土宗本願寺派。
 本尊は、阿弥陀如来。
 寛永元(1624)年、九軒町に移築。
 寛永20(1643)年、火災で焼失したため、現在の地に移る。
 野口英世/直筆の書「済生」を所蔵。
磐梯山噴火殉難者死歿之墓

 境内には、「磐梯山噴火殉難者死歿之墓」がある。
 その隣りの本堂寄りに、伴百悦の奔走による「勝軍山戦死者の墓」がある。

 ▲(猪苗代町字新町4899 Tel. 0242-62-2833)


八幡神社 <宮ノ腰>

 永保元(1081)年、白津村の鎮守として創建。
 祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)など7柱。


二本スギ
 樹高 :48m、樹齢 : 600年
 幹周り:10.5m (5.7m + 4.8m)
 県指定緑の文化財。
 社殿前に左右一対の門柱のようにある太い方のスギが2本の合体木であり、拝殿の屋根の上では2本に分かれている。

 ▲(猪苗代町八幡字宮ノ腰4958 Tel. 0242-66-3670)

隣松院

 永徳3/弘和3(1383)年、猪苗代城主/猪苗代四郎左衛門時盛 (三浦四郎時盛) が父/盛泰の菩提として、下舘村に創建し、芳庵を住職として住まわせる。
 小桧山、曹洞宗。
 本尊は、釈迦牟尼佛。
 猪苗代三十三観音の第十番/下舘観音の札所。
 ▲(猪苗代町大字三郷8291-1 Tel. 0242-66-3355)

荒人神社 安養寺 鹿島神社宝篋印塔 金曲おんばさま
十王堂<三郷> 正福寺(都沢の公孫樹) 橋姫神社(堀切姥神) 宝性寺
猪苗代三十三観音
島田の板碑 釜井の板碑 金上盛備 蝉丸の墓
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ツールチップあり .
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