文治5(1189)、佐原義連公が創建し、義連公に伴って会津にやって来た赤沼内膳が奉祀。
祭神は、倉稲魂命。
御神体の木像丈8寸8分は、佐原義連公と伝えられている。
伊達正宗公が焼き払ったが、蒲生氏郷公が再興し、現在に至る。
お日市 7月20日。
▲(会津若松市旭町)
お日市 7月19日。
▲(会津若松市石堂町)
文明6(1474)年、葦名盛高公が創建し、岌天上人が開山。
盛道山、浄土宗。 本尊は阿弥陀如来。
総本山は、京都/知恩院。
天文6(1537)年、現在地に移転し、盛舜公の庇護のもと末寺30余を持つ。
葦名氏が滅亡後は一時 廃寺となるが、その後の蒲生氏、加藤家、保科正之公の庇護を受け大いに栄える。
しかし、戊辰の役で堂宇・寺宝すべてが焼失した。
昭和50(1975)年、伽藍が再建される。
墓地は大塚山墓地公園に移転したが、蒲生忠郷公の墓・五輪塔は今も本堂の裏にある。
町廻り三十三観音の二十九番 馬場下五之町。
「冬木沢参り」で有名な八葉寺も管轄している。
殉難墓あり。
▲(会津若松市中央2-4-5)
高巌寺本堂の裏側で、道をはさんだ角にある。
蒲生忠郷公については、こちら。
蒲生忠郷公の墳墓は、この一画の北西部にある松の木より、南に約七間、東に約十間、高さ約一間半位の円形上の盛土であったが、昭和四十四年に大町土地区画整理事業の施行により、その大部分が削りとられてしまった。
この五輪塔は、忠郷公の百回忌を供養して、高巌寺境内南側に建てられたものを、この地に移し建てられたものである。
忠郷公は、慶長十七年六月 (一六一二年) 僅か十才にして会津六十万石 蒲生藩三代目の藩主となり、寛永四年一月四日 (一六二七年) 疱瘡を患って二十五才の若さで病死した。
忠郷公の母が徳川二代将軍 秀忠の妹であったことから 祖父家康より秀忠の壱宇を与えられて、忠郷と称したと謂う。
昭和五十三年十一月
日本で唯一の養蚕に関する神社である。
弘仁2(811)年、草創。
寛弘7(1010)年、宮殿を創建。
祭神は、保食大神
文化4(1807)年、火災により社殿が焼失。
文政2(1819)年、松平容敬公が社殿一切を再建し、今に至る。
境内には、樹齢1000年の峰張桜がある。
お日市 8月1日
▲(会津若松市蚕養町2-1 Tel. 0242-37-3166)
4月19〜20日 養蚕祭 (桜花祭、春季大祭)
6月30日 夏越大祓 (茅の輪くぐり神事)
8月1〜2日 例大祭 (太々神楽、神幸祭)
12月30日 歳越大祓
お日市 8月3日。
永徳2(1382)年、蘆名氏として初めて会津に定住した直盛公は、佐原の館を経て、この地に館を築いて移り住み、東黒川館(小高木館、後の鶴ヶ城)の造営に着手した。
その際に、館の東端に創建された。
この小館で、伊達政宗公への、母と弟による毒殺未遂事件が起きている。
▲(会津若松市本町)
お日市 7月23日。
▲(会津若松市金川町)
お日市 7月23日。
興徳寺が管轄。
▲(会津若松市東栄町)
文禄元(1592)年、僧/中悦が草創。
その後に、僧/恕山が再開山。
龍淵山、曹洞宗。
本尊は、大日如来。
戊辰の役で、すべて焼失。
町廻り三十三観音の第三十一番 馬場名古屋町。
当寺の池に住んでいた龍が、越後から飛来してきた龍と戦った。
激しく戦ったものの勝負がつかず、2匹の龍は紫の雲を残して天に昇っていったという。
殉難墓あり。
▲(会津若松市中央2-8-21 Tel. 0242-22-4518)
応永30(1423)年、僧/長巌が開山。
福聚山満願寺、真言宗豊山派。
本尊は、大日如来。
文禄元(1592)年、蒲生氏郷公の町割りで現在地に移転。
享保3(1718)年、回転式経蔵が建てられる。
江戸時代には、金剛寺・観音寺・自在院・弥勒寺が会津真言四ヵ寺と称された。
町廻り三十三観音の第十九番 博労町。
お日市 7月24日。
▲(会津若松市相生町2-18 Tel. 0242-22-3245)
応安2/正平24(1369)年、神道流槍刀術の祖/飯篠山城守家直が勧請。
名称は"伊勢宮"、祭神は"天照大神"。
葦名氏から松平家までの歴代領主に庇護され、一時は4郡を拝領。
慶応2(1866)年に南町へ遷宮したが、戊辰の役で全てが焼失。
明治2(1869)年、仮殿を建立し現在の地に奉遷。
この時に、伊勢宮から神明神社に改称する。
昭和25(1950)年、神殿が完成。
会津で最大の商店街 「神明通り」 は、この神社に由来する。
お日市 8月4日。
▲(会津若松市栄町1-46 Tel. 0242-26-3292)
天正3(1575)年、会津出身の僧/河井慶善が開山。
水登山、浄土真宗本願寺派。
本尊は、阿弥陀如来。
山門だけは、戊辰の役での焼失を免れている。
殉難墓あり。
▲(会津若松市行仁町12-53 Tel. 0242-22-4526)
親鸞の二十四輩の一人/無為信が、一ノ堰に草創。
松井山、浄土真宗本願寺派。 本尊は阿弥陀如来。
応永年間(1394〜1427)に再興され、米代や赤井町御堀端を経て、寛文11(1671)年の火災により現在の地に移転。
戊辰の役では、西軍の病院となったため焼失を免れた。
本堂には、略奪した刀剣の品定めに斬り付けた跡が残っている。
終戦後、西軍の分捕り合戦は凄まじかった。
金目の物は全て持ち去り、運べない重い物・大きい物は町民たちに買い取らせ、持ち主にすら強いた。
▲(会津若松市千石町6-35 Tel. 0242-22-5688)
真言宗智山派。
本尊は、大日如来。
昭和54(1979)年に焼失し、昭和60(1985)年に再建。
町廻り三十三観音の第三十番 千石町。
お日市 7月23日。
▲(会津若松市千石町6-76)
お日市 7月28日。
▲(会津若松市城前 つばくろ公園内)
お日市 7月15日。
▲(会津若松市上町)
お日市 7月22日。
▲(会津若松市中央2丁目)
文禄元(1592)年、釈/玄海が草創。
満光山、浄土宗本願寺派。
本尊は、薬師如来。
戊辰の役で、堂宇・寺宝すべてが焼失。
殉難墓あり。
▲(会津若松市中央2-8-26 Tel. 0242-22-7856)
寛永4(1627)年、加藤嘉明公が会津拝領の際、四国/松山の法華寺を移し、僧/日栄が開山。
隆国山、日蓮宗身延派の寺院。
貞享年間(1684〜1687)、松平正容公が帰依し、それ以降は松平家の庇護を受ける。
戊辰の役で堂宇すべてを焼失する。
殉難墓あり。
▲(会津若松市蚕養町8-1 Tel. 0242-22-4032)
元和4(1618)年、創建され、良乗上人が開山。
如空山寂照院、浄土宗。
本尊は、阿弥陀如来。
文禄2(1593)年、下野国/円充寺の僧/良乗が会津に移り、本覚寺に改称し中興した。これを開山とする説もある。
殉難墓あり。
▲(会津若松市行仁町12-59 Tel. 0242-22-5396)
永正年間(1504〜1521)、釈/唯信が南山芦ノ原村に草創。
飛龍山、浄土真宗本願寺派。 本尊は阿弥陀如来。
文禄元(1592)年、蒲生氏郷公の町割で大町に移築され、従って来た数100人の近江国/木地師が檀徒となり今も続いている。
戊辰の役で堂宇すべてが焼失、その後にも火災に見舞われる。
昭和47(1972)年、コンクリート製の本堂となる。
▲(会津若松市中央2-3-21 Tel. 0242-22-6174)
お日市 7月30日。
▲(会津若松市宮町 八角神社境内)
延徳3(1491)年、勧進され創建される。
戊辰の役では、薩摩兵の屯所になった。
旧書院の床柱に、神社に奉納されていた宝刀の試し斬り痕がある。
略奪した刀剣の品定めに西軍の斬り付けた跡が、各所に残っている。
終戦後、西軍の分捕り合戦は凄まじかった。
金目の物は全て持ち去り、運べない重い物・大きい物は町民たちに買い取らせ、持ち主にすら強いた。
お日市 7月30日。
▲(会津若松市宮町 Tel. 0242-22-7463)
康暦〜至徳/1378〜元中年間(1379〜1387)、僧/仁範が草創。
松命山、真言宗。
天正17(1589)年、伊達政宗公が会津侵攻の時に焼き払った。
文禄元(1592)年、蒲生氏郷公の町割で、現在地へ移転した。
下荒井の会津三十三観音の第十四番札所は、当寺の別当。
▲(会津若松市昭和町1-10 Tel. 0242-22-5540)