会 津 を 構 成 す る 市 町 村

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磐   梯   町   (耶麻郡)


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磐梯町ホームページ

  磐梯町観光協会ホームページ

≪観光案内≫
  磐梯町役場 商工観光振興グループは、こちら。

秀峰・磐梯山 (ばんだいさん)   冬景色(139KB)

 標高1,816メートルの主峰磐梯山と、櫛ヶ峰(1,636m)、赤埴山(1,430m)から構成される。
 猪苗代町、磐梯町、北塩原村にまたがる活火山。
 磐梯朝日国立公園に属する。
 南の山麓は表磐梯と呼ばれ、穏やかで美しい山姿を見せるが、北側は裏磐梯と呼ばれ、山体崩壊の跡が荒々しい表情をしており、会津富士、磐代山、万代山とも呼ばれる。

 檜枝岐村にある燧ヶ岳は東北地方最高峰 (2,356m) だが、海抜ではなく麓からの高さ/比高では尾瀬からみて900メートル・尾瀬沼から700メートルに対し、磐梯山は会津盆地から比高1,600メートル・猪苗代からでも1,300メートルと、見掛け上の高さは1.8倍もある。
 元来、「いわはしやま (磐椅山)」 といい、「天に掛かる岩の梯子」 の意味。
  (磐:神が住む所、梯:梯子、神の住処まで梯子のような山がつながる)
 主な登山口は、6つある。
八方台登山口   ・八方台登山口(いちばんポピュラーなコース)
  ・裏磐梯登山口
  ・翁島登山口
  ・表登山口
  ・川上登山口
  ・渋谷登山口
 弘法清水付近には、2軒の売店小屋がある。

 数十万年前から、水蒸気爆発型の噴火を繰り返している。
 数万年前に、山体崩壊が起こり、猪苗代湖が出来た。
 明治21(1888)年7月15日の噴火で、北側が大規模に崩落し、
死者 477人の被害が出る。
 この時に、桧原湖小野川湖秋元湖五色沼など、多数の湖沼ができた。
 (補) 元々の磐梯山の高さは 1,819メートルだったが、山頂の三等三角点/標石が紛失?したとのことで、平成22(2010)年の復旧時に 1816.29メートルへ変更された。

慧日寺跡    Enichiji Temple

 会津仏教文化の発展の地。
 磐梯山、真言宗。
 大同2(807)年、奈良東大寺/法相宗の高僧/徳一大師が、五薬師の1つとして開創した。
 開基が明らかな寺院としては、東北地方で最古のもの。
 6万平方メートルにも及ぶ跡地の一部は、国指定の史跡
 最盛期には、寺僧300、僧兵6,000、子院3,800を数え、18万石が与えられていたと伝えられている。
 その後、源平合戦で平家方に付いたため一時衰退したが、室町時代には復興し、越後方面と黒川方面 (会津若松市) へ分岐する要衝の地であった門前町も大いに栄えた。
 天正17(1589年、伊達政宗公の会津侵攻の際、金堂を残して全てが焼失・破壊された。
 その金堂も寛永3(1626)年に焼失し、明治政府が施行した大罪/神仏分離令 (廃仏毀釈) によって廃寺となる。
 慧日寺についての資料や国指定重要文化財などは、「磐梯山恵日寺資料館」で保存され、公開もされている。
 復興された現在の寺は、恵日寺と称している。  [寺宝]

 復元計画が進められており、平成20(2008)年に金堂が復元された。
 国指定史跡としての金堂の復元は、日本初となる貴重な事業。
 中門も復元され、平成22(2010)年4月1日からは、その間をつなぐ石敷き広場も、約1,200年前の姿を可能な限り忠実に復元され公開された。
 今後も引き続き、周辺の調査が進められる。

徳一大師廟

徳一廟

 久安3(1147)年、徳一廟三層塔が造立。
 高さ2.5メートルの五重塔で、藤原様式を残している廟。
 屋根の四隅に、釣られた風鐸の跡がある。
 慧日寺跡の右手の一番奥にある。
 昭和7(1932)年、修復。
 徳一大師は、勝常寺円蔵寺も建立している。
 天台宗最澄と「三一権実論争」、真言宗空海と「真言宗未決文」などを繰り広げたことでも、歴史的に有名である。
 堕落した都の仏教を嫌い、真の仏教を求めて会津に移ってきた。
 徳一大師(徳一菩薩)については、こちら。

徳一大師廟

今与供養塔

 徳一大師が入滅後、今与 (金耀) が慧日寺を継いだ。
  (2代目住職)
 教えを良く守り、慧日寺は隆盛を極めた。
 その後も慧日寺は、高寺に勝利し、平安時代を通して隆盛を誇る。

薬師堂

 除病延命のみならず、産育や子孫繁栄の祈願所として信仰されてきた。
 観応元/正平5(1350)年、再興。
 幾多の戦乱を経て、明治5(1872)年の火災で焼失したが、仁王門は焼失を免れる。
 明治32(1899)年、再建。
 会津徳一大師五大寺の一つ。  会津十二薬師の第一番。  会津五薬師の東方薬師

不動院龍宝寺不動堂

 山岳信仰と祖霊崇拝である磐梯修験の拠点であった。
 天平年間(729〜749年)には磐梯修験の大伴家が居を構え、大伴修験と称され、吾妻山など広域にわたって影響力を行使していた。 そのために,この地に慧日寺が開創されたとされる。
 永正18(1521)年、「磐梯山不動院龍宝寺」と寺号を定める。
 不動堂の傍らに全盛期の衆徒頭/乗丹坊の墓がある。
 現在でも、磐梯山修験の祈願所となっている。

 ▲(磐梯町大字磐梯字本寺上)


戒壇跡

戒壇跡

 慧日寺金堂跡より北西に500メートル離れたところにある。
 丘陵部を利用た小山状の遺構は、戒壇跡と伝えられてきた。
 発掘調査により平安時代の石塔や火葬骨片などか出土したため墓域と推定され、慧日寺別院/花輪寺の開祖の火葬墓の可能性が高いとされる。
 現在でも発掘調査が継続中。


磐梯神社

 元は慧日寺の構成院の1つで、守護神/磐梯明神。
 明治政府が施行した大罪/神仏分離令 (廃仏毀釈) により、独立し創建。
 明治5(1872)年、火災で焼失、後に現在地に移転し再建。
 毎年春分の日、小・中学生の女の子による3つの巫女舞「榊の舞・弓の舞・太刀の舞」が奉納され。
 その後に、「舟引き祭り」が催される。
 東西に分かれた氏子が3回引き合い、東が勝つと「豊作」、西が勝てば「米価が上がる」という年占の神事。 慧日寺の祭りとして長い歴史がある年中行事を継承している。
 国指定の選択無形民俗文化財
 平成17(2005)年、県の重要無形民俗文化財に指定。

 ▲(磐梯町磐梯八幡4614)

恵日寺

恵日寺

 元々は、塔頭(たつちゅう) (わき寺) として建立。
 元禄15(1702)年、戦乱により焼失した現/本堂が再築。
 明治37(1904)年、復興され恵日寺と称す。
 廐岳山、真言宗豊山派。 向拝の破風造りで板戸に作画。
 山門は、平将門が寄進したと伝えられる。
 将門自身も慧日寺に帰依していたと伝えられ、乱で討ち死にした後は、娘/滝夜叉姫が身を寄せている。
 徳一大師創建時の本尊は薬師如来像だが現存していない。
 猪苗代三十三観音の番外四番
 ▲(磐梯町大字磐梯字本寺上4950 Tel. 0242-73-2320)   [寺宝]

   ・9時〜16時30分(拝観は、予約が必要)
   ・例祭日 3月21日(舟引き祭り)

慧日寺資料館

慧日寺資料館

 昭和62(1987)年8月に開館し、慧日寺についての資料や文化財を公開している資料館。
 国指定重要文化財である“白銅三鈷杵”、国認定重要美術品である絹本着色慧日寺絵図”と“鉄鉢”も所蔵。
 年表パネルを用いた慧日寺1200年の歴史、山岳信仰にまつわる資料、文化財、行事などが展示されている。
引水された龍ヶ沢湧水  庭園に日本名水百選の「龍ケ沢湧水」が引水されている。
 大雨の時など白濁したりするので、飲水は自己責任。
   

 ▲(磐梯町大字磐梯字寺西38 Tel. 0242-73-3000)
   ・9時〜17時
   ・休館 冬季(12月1日〜4月14日)
   ・見学時間 40分

厩嶽山馬頭観音堂

厩嶽山馬頭観音堂     [本尊]

 かつて、会津の馬頭観音の総本山として信仰され、祭礼には (旧暦6月16〜17日) 多くの参詣者で賑わったという。
 訪れる人も少なくなったため、厩嶽山の山頂近くにあった御厨子を慧日寺資料館の屋外に移した。

龍ヶ沢湧水        

 磐梯西山麓湧水群の中で代表する湧水で、日本名水百選に選ばれている。
 古くから霊水として知られ、弘法大師 (空海) が請雨の法を修めた所とも伝えられている。
 大干ばつにも涸れることがなく湧き出るので、江戸時代には雨乞いの儀式の場所でもあり、近年まで行われていた。
 湧水量は、1日2千トンとのこと。
龍ヶ沢湧水の現地板  現在は、慧日寺資料館の庭園内に引水されている。

 ▲(磐梯町大字磐梯字)

(写真提供) 高畑博史 氏  .

蛇追ヶ滝

蛇追ヶ滝 (不動滝)

 滝尻川の上流にあり、落差16メートル、幅3メートルの水量豊富な滝。
 砂防ダムの駐車スペースから、徒歩15〜20分ほど。
 平安時代に、弘法大師が大蛇を追い払ったという伝説により名付けられた。 近くに不動堂もあり。滝の裏の洞くつには不動明王が祀られていることから、「不動滝」とも呼ばれる。
 県の水三十選にも選ばれている。
 滝の裏側に洞窟があり、慧日寺の僧侶が修行した滝と伝えられる。
 現在では、上流にゴルフ場が建設されてしまい、時おり、ゴルフボールが流れ着くとのこと。

滑滝

滑 滝           .

 磐梯山と猫魔ヶ岳の間を流れ  .
る小屋川の上流にある。      .
 二筋の流れが岩肌を滑るよう流 .
れているが、渇水期には姿を消す。

とび滝

とび滝

 ゴールドラインの途中からも、かすかに眺望できる。
 この滝の上流や下流には、大小さまざまな滝が多数ある。

 ▲(磐梯町大字更科)

能満寺

能満寺

 仙開山、真言宗豊山派。
 本尊は、不動明王。
 猪苗代三十三観音の番外の一つ

 ▲(磐梯町大字磐梯字金上壇2575 Tel. 0242-73-3256)

如蔵尼 (滝夜叉姫) の墓

如蔵尼 (滝夜叉姫) の墓

 平将門の3女として生まれ、名を「滝夜叉姫」という。
 後に出家して、如蔵尼 (にょぞうに) と名乗る。
 「今昔物語」にも記載 (本朝仏法部第17巻第29話)。
 慧日寺資料館を通り過ぎ突き当たって右折10数メートル先。
▲(磐梯町大字磐梯字小中野原)
  
如蔵尼の墓  慧日寺の金堂入り口前にもある。
▲(磐梯町本寺上)

 歌川国芳の錦絵「相馬の古内裏」などに描かれている妖術使いは、後に創作されたものである。
 長女は不明だが、次女は如春尼と名乗り、千葉県沼南町岩井 (柏市) に落ち延びた。

陣の山館跡

 平安末期、慧日寺の衆徒頭/乗丹坊が築いた居城とされる。
 越後/城氏が慧日寺と結び付き築いたとも。
 天正17(1589)年、蘆名義広公を破って会津侵攻した伊達政宗公が、鶴ヶ城に入るまで陣を置いた。
陣の山館跡の説明板  その後、小田原攻め後に豊臣秀吉が北進する備えとして、本格的な城郭に改築した。
 ▲(磐梯町大谷字地理山)   [図] [配置図]

大寺古砦跡

 平安末期、慧日寺の衆徒頭/乗丹坊の居城の1つとされる。
 永享元(1492)年、蘆名盛高公の宿老/佐瀬河内守・平八郎親子の居城となる。
の説明板  東西62間、南北60間。
 天正17(1589)年、会津に侵攻した伊達政宗公が、慧日寺を焼き尽くす際に陣を張った。
 ▲(磐梯町磐梯字取上石)  [古図]


他の城館については、こちら

道の駅 ばんだい

道の駅 ばんだい

 県道/猪苗代塩川線の、慧日寺跡近くにある。
 平成21(2009)年8月16日に開所。
 愛称「徳一の里 きらり」。

 ▲(磐梯町大字磐梯字十王堂38
        Tel. 0242-74-1091  〔HP〕  〔HP〕)
   ・物産館 7時〜21時
   ・名産   ほうれん草、そば

アルツ磐梯スキー場

夏のアルツ磐梯スキー場

 ▲(磐梯町大字更科字清水平6838-68
            Tel. 0242-74-5000)

温泉については、こちら。

桜開花の季節なら、木挿し桜

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阿弥陀寺 西真寺 慈眼寺 蔵王寺 赤龍寺 宝珠寺
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