会   津   で   遊   〜   ぼ   !

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行 基 菩 薩 の 伝 説 地 を 巡 る

 朝廷からの度重なる弾圧や禁圧にも屈せず、広く仏法の教えを説き続けた。
 逆境に負けることなく超人的に活躍する姿に、民衆から圧倒的な支持を得る。
 しかし、権力者が抹殺したのか、著作物は勿論のこと、関係する当時の資料や、
出生から入滅時などの年齢までもが、混沌としている。
 そして、数多くの “説話・伝記・伝説” が、全国各地に生れた。
 会津にも残っている主な伝説地を、訪ねよう。

東山温泉

東山温泉に宿泊

 約1300年前、棚引く紫雲と三本足の霊烏に導かれた行基菩薩が、懇々と湧き出る源泉を発見したと伝わる。

[由来・伝説] 東山温泉と行基菩薩

 天平年間(729〜749)、遊行僧/行基菩薩が全国巡錫で会津を訪れた折、東の山に異彩ある霧雲が棚引く霊感を得て、急ぎ草木を分け入り、岩を這い上り向かうと、黒川 (現/湯川) のほとりに辿り着くが、紫雲を見失ってしまう。
 さらに川に沿って遡ると、轟く音とともに瀧へと辿り着く。
 困っていると突然、光を放つ三本足の霊烏 (八咫烏) が出現し、誘うような仕草をする。
 そこで、木から木へと飛び移る烏の後を追うと、岩間から湯煙が噴出しており、異彩ある霧雲の正体を知る。
 紫雲の生じている霊地には、こんこんと源泉が湧き出ていた。
 けたたましく烏が鳴き騒ぐので仰ぎ見ると、妙見菩薩・聖観音菩薩・軍荼利明王の3尊が現れ、この地が霊場と悟る。
 羽黒山と称し、日の出に陽が当たる場所から東光寺の名で開山する。
 当初、野猿の群れが入浴していたことから「猿湯」と呼ばれた。
 文治5(1189)年、領主が蘆名氏になり、菩提寺の1つ天寧寺が創建されると、「天寧湯」と呼ばれるようになる。
 建武3(1336)年、さらに奥から近くの川が熱くなるほど豊富な湯量の温泉が湧き出てきた。
 創傷や火傷、打ち身などに効能があると評判になり、湯治湯として利用され始めた。
 天正年間(1584年)頃、天寧寺の寺領内であったことから、「天寧寺の湯 (天仁寺の湯)」と呼ばれるようになった。
 江戸時代には湯治場として大いに栄え、藩の別荘・保養所・座敷役場も整備され、温泉番付「諸国温泉功能鑑」に「東之方前頭/会津天仁寺の湯」と格付けされている。
<「東山温泉 ぶらり朝散歩」と併記>      .

羽黒山神社(羽黒山湯上神社)

羽黒山神社(羽黒山湯上神社)

 明治政府が施行した大罪/神仏分離令 (廃仏毀釈) により寺が廃され、羽黒山湯上神社のみが残った。
 本殿まで1,225段の石段を登るが、体力に自信のない方は鳥居脇の拝殿でお参り。
 ▲(会津若松市東山町湯本積り86)

   ↓  7,3 Km

光明寺<門田>

光明寺 <門田>

 行基菩薩作の弥陀如来像を安置。
 非公開。

 ▲(会津若松市門田町大字一ノ堰字村西500)

   ↓  2,6 Km

本光寺

本光寺

 天平12(740)年、羽黒山東光寺の末寺として、
行基菩薩が開創。

 ▲(会津若松市門田町飯寺字村西674)

   ↓ 10,2 Km

福泉寺

福泉寺

 本尊の薬師如来像の胎内仏は、行基菩薩作といわれる。

 ▲(会津美里町八木沢字福泉寺4966)

   ↓  4,1 Km

広瀬神社

広瀬神社

 天平年間(729〜749)、東光寺草創の行基菩薩が、羽黒権現を勧進。

 ▲(会津美里町松岸字北沢田275)

   ↓ 38,0 Km  ≪磐越自動車道を利用 (新鶴PA → 西会津IC)≫

鳥追観音

鳥追観音

 子に恵まれず、鳥獣の被害で困っている農家の夫婦に、行基菩薩は一寸八分の聖観世音菩薩を彫り授けた。
 後に、この聖観世音菩薩を本尊として、徳一大師が草創。

 ▲(西会津町野沢字如法寺乙3533)

   ↓  5,3 Km

真福寺

真福寺

 行基菩薩が草創。

 ▲(西会津町尾野本字門前丙3176)

   ↓ 34,1 Km

飯豊山神社

 天平年間(729〜749)、行基菩薩が中興との説も。
 今回は、一王子社/拝殿までの参詣。
 山頂の五王子社へは、2,105メートルの登山。

 ▲(喜多方市山都町一ノ木字中在家乙1760〜1761)

   ↓ 12,9 Km

古四王神社

古四王神社

 和銅6(713)年、行基菩薩が衰退した当山を再興 (伝)。
 天平9(729)年、行基菩薩が再訪し、阿弥陀菩薩像・地蔵菩薩像などを刻む (伝)。

 ▲(喜多方市慶徳町松舞家字丑ノ尾3940)

   ↓  9,9 Km

松音寺

松音寺

 本尊の釈迦如来立像は、行基菩薩の作と伝わる。
 非公開。

 ▲(北塩原村北山北畑4255)

     ↓ 20,0 Km

 行基菩薩が開創した厩岳山神社は、登山道を往復4時間要する厩岳山の頂上近く (標高1,261m) にあり、体力に自信のある方のみチャレンジ。
厩岳山神社 (馬頭観音堂)
 巡錫中の行基菩薩が源橋村の民家で1泊したが、猿が引き連れる7匹の馬に導かれる夢の中で、山中深く分け入ると老翁が現れ、
  「自分は天満の星の化身で、馬の病を治す為に来たが、
     この山に棲む悪霊に邪魔されている

と告げられる。 仏の御告げを伝える霊夢と悟り、馬頭観音像を自ら刻み、山頂に一宇を設けて安置した。
 馬頭観音堂は会津の馬頭観音の総本山となり、山は「厩岳山、厩嶽山、厩山」、「まやたけさん、まやがたけさん、みたけさん 、うまやさん」と呼ばれるようになった。 登山道沿いに三十三体の観音地蔵があり、社殿の脇に冷たい飲み水「行基清水」が今なお湧き出ている。
 毎6月の第3日曜日には、白馬を先頭にお参りする珍しい厩嶽山祭りと山開きが開催される。

   ↓ 31,4 Km

   ↓ 36,0 Km

芦ノ牧温泉

芦ノ牧温に宿泊

 鶴と亀が脚の傷と眼病を癒す為に湯浴びをしている姿を発見する。  大聖不動明王が導いたと悟り、温泉の効能を利用して民衆の病を治すため羅湯場を整備した。
 温泉街の一角に、大聖不動明王像が祀られている。
 ▲(会津若松市大戸町芦ノ牧)

[由来・伝説] 芦ノ牧温泉と行基菩薩

 和銅年間(708〜715)、全国巡錫で会津を訪れた折、川辺に湯煙が立ち込めており、よく見てみると鶴と亀が脚の傷と眼病を癒すために湯浴びをしている姿を発見する。
 大日如来の化身である大聖不動明王が導いたと悟り、温泉の効能を利用して民衆の病を治す湯場を整備したのが始まりとされる。
 温泉街の一角に、三日月不動尊と呼ばれる行基菩薩が彫刻した大聖不動明王像(日本武尊・金比羅大権現)が祀られている (公開の仏像は模造品)。

 別に、弘法大師 (空海) によって発見され、その中の小谷の湯は、弘法大師が世話になった周辺住民の為に温泉場を整備したとの伝承が残っている。
 病を得た民衆のために整備した、との説もある。
<「芦の牧温泉 ぶらり朝散歩」と併記>      .


 帰りが首都圏なら、行基菩薩か通った白河街道を通って東北道/白河ICに向かうのも良し。


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