会 津 を 構 成 す る 市 町 村

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只   見   町    (南会津郡)


只見町の町並み

只見町ホームページ

  只見町インフォメーションセンター・ホームページ
  只見町観光まちづくり協会ホームページ

≪観光案内≫
  只見町インフォメーションセンター (観光案内)は、こちら。
  只見町役場 産業振興課交流推進班は、こちら。


《現地観光案内板》
  只見町観光マップ(185KB)   只見駅周辺観光案内(125KB)
  会津塩沢十島観光案内図(358KB)

田子倉ダム、田子倉湖

田子倉ダム  昭和35(1960)年11月完成した日本屈指の水力発電のためのダムである。
 高さ145m、長さ462mの重力式コンクリートダムで、建設工事には延べ300万人の人々が携った。
 総貯水量約5億トン、総出力38万キロワットは、長い間、揚水式を除く水力発電/日本一だった。
 奥只見ダムの完成で第2位になる。
 現在の認可出力は40万キロワットで、奥只見ダムに次いで全国第2位を保っている。
 堤体積は195万立方メートルで、宮ヶ瀬ダムに次ぐ全国第2位である。
 平成17(2005)年、ダム水源地環境整備センターによる「ダム湖百選」に選定。
 令和 5(2023)年、「選奨土木遺産/只見川ダム施設群 (土木学会)」の1つに認定。
 国道252号の六十里越の途中にあり、長岡方面から会津に入る玄関口ではあるが、冬季は通行止めになる。
 春の新緑、秋の紅葉の季節には、多くの行楽客で賑わう。
 レストラン、売店もあり、湖上遊覧船も就航している。
 イワナの聖地とも呼ばれ、60センチを超えるイワナが釣れるという。
 曽野綾子の「無名碑」、城山三郎の「黄金」の小説の舞台にもなっている。
 展望台に、
 ▲位置 北緯37度18分38秒、東経139度17分13秒
   河川 阿賀野川水系只見川
田子倉レークビューの遊覧船
≪田子倉レークビュー≫
 湖上遊覧船が運行されている。
 2階はレストランになっており、湖の景観を堪能しながら食事ができる。
 ▲(只見町大字田子倉604-18 Tel. 0241-82-2700)
    ・5月1日〜11月下旬運航、所要時間 30分

只見湖、只見ダム

只見湖

 出力世界一のバルブ水車(円筒形水車)で、出力65,000キロワット。
 平成元(1989)年7月、田子倉ダムから放流される水量を調節するために、約3キロ下流に造られた。
 一周5キロの湖岸道路や、でんぱつ只見展示館歳時記会舘、あやめ園などがある。
 ▲位置 北緯37度20分09秒、東経139度18分01秒
   河川 阿賀野川水系只見川

黒谷ダム、発電所

黒谷発電所

 最大出力19,600キロワットの黒谷川に建設されたダム。
 高さ6メートル、長さ43メートルの圧縮空気によって膨らます世界一のゴム堰ダム。
 平成6(1994)年4月に、運転を開始。

 ▲(只見町黒谷字西山2963)

河井継之助記念館    ネットで見学

河井継之助記念館

 長岡藩の河井継之助は、戊辰の役でガトリング砲の威力に着目し、自ら砲手として西軍に応戦したとの話しもある。
 長岡藩が陥落し、その後の戦いで銃弾を受け負傷した。
 親藩会津で再起をはかるため、藩士1千数百名を引き連れ八十里越から、鶴ヶ城へ向かった。
 その時に、自嘲の句を詠んでいる。
   「八十里 腰抜け武士の 越す峠
 破傷風が悪化し、途中の塩沢にある矢沢宗益宅にて、病床に臥せる。
 慶応4(1868)年8月16日、夢叶わず死去した。 享年42歳。

 ▲有料 (只見町塩沢字上の台850-5 Tel. 0241-82-2870)
   ・10時〜16時
   ・休館 木曜、冬期(12月〜4月中旬)

河井継之助の墓

河井継之助の墓 (医王寺)

 遺骨は火葬され、鶴ヶ城下の建福寺に運ばれた。
 村人たちは、残った細骨を拾い集め、幕軍医/松本良順と長岡藩医/阿部宗達が墓石を建立した。
 命日には、今なお供養が執り行われている。

 ▲(只見町大字塩沢字上ノ台258)
   ・医王寺については、こちら。
   ・戊辰戦争史跡については、こちら。

会津只見考古館 (窪田遺跡)

会津只見考古館(窪田遺跡)

 昭和60(1985)年、4千年前の縄文時代後期から弥生時代中期の集落跡6棟 (縄文時代4棟・弥生時代2棟) が発見された。
 弥生時代の再葬墓も発見され、当時の人々の生死観を示す重要な遺跡でもある。
 この窪田遺跡を保存するために、造られた考古館。 出土した土器や石器など、考古資料と併せて展示されている。
 竪穴式住居も、復元されている。
 ▲(只見町大倉字窪田33 Tel. 0241-86-2175)
    ・9時〜16時
    ・休館 月曜、祝日の翌日、11月24日〜4月19日

叶津番所跡 (旧長谷部家住宅)

 八十里越に設けられた番所跡。
 番所とは関所のことで、物や通行人の検分をしていた。
 寛永20(1643)年に建築されたと伝えられている茅葺き屋根の曲り家。
 当時の人々の行き交う姿を、偲ぶことができる。

 ▲(只見町叶津字居平456 Tel. 0241-82-2407)

≪八十里越≫
 会津と越後を結ぶ重要な唯一の交易路だった。
 八里の道のりが八十里もあるかのように思える険しい道なので、名付けられた。
 司馬遼太郎の代表作「峠」の舞台となり、一躍 世間に知られるようになった長岡藩の軍事総督/河井継之助が、会津で再起を目指して通った街道としても知られる。
 昭和45(1970)年に国道指定され、平成元(1989)年に着工したが、未だ車両が通行できる道路は開通しておらず、一日も早い開通が待ち望まれている。


旧五十嵐家住宅


旧五十嵐家住宅

 享保3(1718)年、只見地方の本百姓の家屋として建築。
 国指定重要文化財
 叶津番所跡の裏手にある。
 昭和48(1973)年、八十里越の追分から移設。
 農民たちの、当時の暮らしぶりを、垣間見ることができる。

 ▲(只見町大字叶津字居平437)

でんぱつ只見展示館

でんぱつ只見展示館

 国道252号沿いで、只見湖と道路をはさんだ反対側にある。
 1階は「水のサイエンス」コーナー、2階は「水のファンタジア・シアター」。
 ▲田子倉発電所記念館
  (只見町大字只見字赤沢下2476-1 Tel. 0241-82-3150)
    ・9時〜17時(無料)
    ・休館 月曜、冬季(12月〜3月)
    ・見学時間 30分

只見町歳時記会館

只見町歳時記会館

 国道252号沿いで、でんぱつ只見展示館の隣にある。
 1階は売店で、特産品の展示・販売をしている。
 2階は食堂で、地元料理が味わえる。
 ▲(只見町大字只見字後山 Tel. 0241-82-2221)
    ・10時〜16時
    ・休館 水曜、冬季(12月〜3月)

只見町ブナセンター

 平成19(2007)年、奥会津只見のの自然環境の保全や、野生生物の保護活動、調査・研究・展示・研修などを目的に発足。
 平成26(2014)年、只見町が「ユネスコエコパーク (生物圏保存地域)/通称」に登録。
 
《ユネスコエコパーク》
 「豊かな生態系を有し、地域の自然資源を活用した持続可能な経済活動を進めるモデル地域」で、海外では 「BR:Biosphere Reserves (生物圏保存地域)」 と呼ばれ、認定地域数134ヶ国738地域の内、日本に10地域が選定 <令和4(2022)年現在>。

ただみ・ブナと川のミュージアム
 ブナの他にも動物 (哺乳動物・川魚・鳥類の剥製や昆虫標本、ジオラマ、民具などを展示。
 常設展示のほかに、年4回の企画展を開催している。
 ▲ 有料 (只見町大字只見字町下2590
        Tel. 0241-72-8355 〔HP〕)
    ・9時〜17時 (入館は16時まで)
    ・休館 火曜日(祝日は翌平日)、年末年始
   旧/ただみ・川のものしり館 (別称:ただみ 川の歴史博物館) が名称変更。


   「 ふるさと館田子」は、撮影禁止。

縁結びの岩 (三石神社) ネットで参拝

三縁結びの三石清水

 本殿に覆いかぶさるような岩盤が「縁結びの岩」。
 縁結びの神として知られ、全国から願かけに訪れている。
 岩盤の割れ目や穴を見つけ、ひもを通して結べば良縁に出会えると信じられている。
 糸の先に5円硬貨を通しておくと、御利益は絶大とのこと。
 本殿まで徒歩で、20〜25分。
 参道の途中に、只見町銘水10選の1つ「縁結びの三石清水」が湧き出ている。

 ▲(只見町大字只見字後山)
   ・三石神社については。こちら。

唱ヶ崎古戦場

唱ヶ崎古戦場 唱ヶ崎古戦場の碑

 落ち延びてきた高倉宮以仁王と、平家の追っ手と激突した古戦場。
 以仁王を龍王院へ逃がし、大勢の村人の助けを得て、辛うじて勝利する。
 渡邊丁七唱が平家方/石川冠者有光の首をはねると、辺り一面に血潮が飛び散った。
 石川率いる軍兵も、ほとんどが討死した。
 その後、この辺一帯に野生するアブラチャン (天然記念物) は、紅くなったという。
唱ヶ崎古戦場
南山義民/儀右衛門顕彰碑  隣接して南山義民/儀右衛門顕彰碑がある。
 会津御蔵入騒動については、こちら

 ▲(只見町大字長浜字後山1794-58  唱崎公園内)


只見三名山(登山)

浅草岳 ≪浅草岳≫
 標高 1,586メートルで、山開きは6月第4日曜日。
 一年中、雪が残っており、高山植物も豊富で、人気がある。
 只見側からの登山口は、「只見沢登山口」と「入叶津登山口」の2ケ所。

会津朝日岳 ≪会津朝日岳≫   登山入口
 標高 1,624メートルで、山開きは6月第2日曜日。
 ブナの原生林が残っており、自然のままの会津を代表する中級山岳。

蒲生岳 ≪蒲生岳≫   登山道入口
 標高 828メートル。
 険しくとがった形から、東北のマッターホルンと呼ばれている。
 登山道は良く整備されているが、山頂直前に急勾配の岩場がある。
 山頂の大草原が、ふくしま緑の百景の1つ。

滝湖

滝湖

 11月中旬頃に白鳥が飛来する。
 3月下旬頃まで、ここで越冬。
 餌付けをしてから、年々 数が増え、今では白鳥の名所になっている。

 ▲(只見町塩沢地内)

十島ビューポイント


 ▲鬼渡神社の境内 (只見町大字十島字上居平872)


叶津川橋梁ビューポイント


 ▲叶津番所跡の付近 (只見町叶津字居平)

水久保城

水久保城 水久保城の説明文

 戦国時代に要害山(標高710m)一帯にあった豪族/山内氏の山城。 水窪城とも。
 建保元(1213)年、横田氏が水窪に柵を築く。
 天正17(1589)年、伊達政宗公の会津侵攻で山内氏勝の居城/中丸城は陥落したが水久保城に籠り、上杉景勝公から援軍と武器・食料が送られ守り抜いた。
 その時に上杉軍を率いていたのが直江兼続である。
 天正18(1590)年、奥州仕置で山内氏勝の領地が没収され、蒲生氏郷公の入府で廃城になったとされる。
 ▲(只見町只見要害山)   《配置》


他の城館については、こちら

只見スキー場

夏の只見スキー場

 ▲(只見町只見田の口24
       Tel. 0241-82-2304)

温泉については、こちら。

文化財 戊辰戦争史跡めぐり 水害最高水位柱 下福井のブナ
只見町銘水10選 上原清水 只見発電所 道標
梁取三義 伊奈川の奇岩 蒸気機関車
六十里越峠開通記念碑
ツールチップあり .
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