長元元(1028)年、直愚により開山。
長光山、浄土宗。
本尊は、阿弥陀如来立像。
若松/高巌寺の末寺。
境内には、子安観音を安置する観音堂がある。
殉難墓あり。
▲(会津坂下町茶屋町甲3873 Tel. 0242-83-2656)
一大文化圏を築いて「高寺三千坊」と称され繁栄した高寺が、宝亀6(775)年に突然、謎の滅亡をする。
平安時代に再び「高寺三十六坊」までに隆盛したが、その1つの「金上坊」が独立した寺。
鐘鋳山、曹洞宗。本尊は阿弥陀如来。若松/善龍寺の末寺。
昭和32(1957)年の火災で、本尊を含む寺宝の多くは焼失。
昭和57(1982)年、本堂が再建される。
葦名氏一族で津川城主/金上氏の菩提寺でもあった。
境内には、伊達政宗公との"磨上原の戦"で戦死した金上盛備の墓碑がある。
猪苗代町には、三忠碑がある。
▲(会津坂下町金上)
創建など詳細不詳。
祭神は、倉稲魂神。
地頭/栗村氏の守護神として、館の内地内に祀られていた。
明治の神仏分離令で旧/諏訪神社の境内に移され末社となる。
明治44(1911)年、火災により焼失。
昭和6(1931)年、現在地に再建。
大正時代から始まった「坂下の御田植祭」は、会津地方の三大御田植祭の1つといわれる。
祭礼の7月7日に執り行われ、五穀豊穣を祈願して早乙女踊りが奉納される。
同一境内の諏訪神社は、平成21(2009)年の火災で焼失している。
▲(会津坂下町中岩田1930)
寛永元(1624)年、僧/順覚が開基。
摂取山、真言宗大谷派。
本尊は、阿弥陀如来。
京都/東本願寺の末寺。
▲(会津坂下町大字茶屋町甲3911 Tel. 0242-83-2770)
元亀2(1571)年、岌岸上人が光明院として開山。
後に、光明寺と改称した。
正覚山、浄土宗。 本尊は阿弥陀三尊仏。
若松/高巌寺の末寺。
殉難墓あり。
▲(会津坂下町字茶屋町甲3913 Tel. 0242-83-3527)
草創など詳細不詳だが、浄土宗の道場として創建とも。
清光山、曹洞宗。
本尊は、木造阿弥陀如来立像。
康歴2/天授6(1380)年、葦名氏の家来/生江大膳が再建。
文明年間(1469〜1487)、僧/薫山が曹洞宗として中興。
若松/恵倫寺の末寺。
会津三十三観音の青津観音と、国の重要文化財 (木造薬師如来坐像 )の上宇内薬師も管轄。
▲(会津坂下町青津本丁71 Tel. 0242-83-4777)
開創など詳細不詳。
本現山、浄土宗。
本尊は、阿弥陀如来。
若松/高巌寺の末寺。
天文20(1553)年、僧/岌円が中興。
≪青津観音≫
永禄16(1568)年、僧/松岩が境内に創建。
慶長16(1611)年、大地震で観音堂が壊れ、現在地の亀ヶ森古墳の後円部の頂上に再建された。
会津三十三観音の第三十二番。
現在は、浄泉禅寺が管轄している。
▲(会津坂下町大字青木字青木66 Tel. 0242-82-3660)
草創など詳細不詳。
徳栄山、真言宗豊山派。 本尊は釈迦如来。
勝常寺の末寺。 現在は無住のため勝常寺が管轄。
木造薬師如来座像は、会津十二薬師の第五番。
▲(会津坂下町中泉中屋敷1729)
永正11(1514)年、僧/大沖元甫が草創。
僧/麟覚とも。
慶雲山、曹洞宗。
草創時は、高さ1.5メートルほどの五輪塔が建つ村南の場所と伝えられている。
近くの裏山に、「町野家/南摩家 家族殉難の地」がある。
▲(会津坂下町大字勝大字沢口1336 Tel. 0242-82-3204)
建久4(1193)年、高寺三十六坊の1つの常林坊が栗村に移転した際、常林寺と改称し開創。
益葉山、曹洞宗。
応永14(1407)年、廃寺の寺を天海上人が中興。
本尊は徳一大師作の観音菩薩だったが、戊辰の役で略奪され、今は諏方社にあった大日如来と阿弥陀仏が祀られている。
▲(会津坂下町字舘ノ内甲2561 Tel. 0242-83-3626)
天喜3(1055)年、源頼義が戦勝を祈願して勧請。
塔寺八幡宮と呼ばれている。
祭神は、誉田別命、息長帯比売命、比淘蜷_。
文久3(1863)年、松平容保公が現在の社殿を造営。
現存する塔寺八幡宮長帳は、貞和6(1350)年から寛永12(1635)年までの286年間分で、全長約120mにも及ぶ日記。
昭和4(1929)年に、国指定重要文化財に指定。
もう一つの国指定重要文化財に指定されている"鰐口"は、直径61.8センチ、厚さ13.4センチ、重さ約75キロもある。
こちらは、至徳4(1387)年に、葦名氏一族の性覚とその子息が、奉納したもの。
会津十二支守り本尊の戌・亥 (阿弥陀如来)。
▲(会津坂下町大字塔寺字松原2859 Tel. 0242-83-2553)
草創など詳細不詳。
多宝山、真言宗。
本尊は、不動明王。
勝常寺の末寺。
▲(会津坂下町大字宮古字中西46)
繁栄した高寺の「高寺三十六坊」の1つとして開山。
高寺が滅亡したため、独立した寺。
瑠璃光山。
本尊は宇内薬師だったが、現在は阿弥陀如来。
現在は、近くの浄泉禅寺が管轄。
≪上宇内薬師如来堂≫
大同2(807)年、徳一大師が五薬師の1つとして開創。
「木造薬師如来坐像及び同脇侍」は、国指定重要文化財。
平安中期の作と云われるケヤキの一木造りで、像高は1.76メートル。
会津五薬師の西方薬師。
会津十二薬師の第六番。
▲(会津坂下町大字大上字村北)
天正年間(1573〜1591)、村人の赤城平七が開基。
高寺の八薬師の一つと伝えられる。
峰松山、曹洞宗。 本尊は木造薬師三尊 (地蔵菩薩)。
恵倫寺の末寺。
▲(会津坂下町片門)
浄土宗。
殉難墓あり。
▲(会津坂下町大字福原字福原川951 Tel. 0242-83-1424)
永享10(1438)年、僧/淳宗が創建、僧/善恕が開山。
虚空山、曹洞宗。
本尊は、釈迦弁尼佛の座像。
若松/天寧寺の末寺。
▲(会津坂下町字光明寺東甲3944 Tel. 0242-83-3519)
流古山、天台宗。
会津三十三観音の第十一番札所。
▲(会津坂下町束原字東1516)
会津仏教の発祥といわれる古代寺院。
欽明天皇元(540)年、梁の国から渡来の高僧/青巌 (青岩とも) が、この地に至った時に聖地と悟り庵を結んだ。
この庵は、後に高寺と呼ばれる。
舒明天皇6(634)年、僧/恵隆が本格的な堂塔伽藍を建立、「高寺三千坊」の創建へと歩む。
斉明天皇4(658)年、僧/蓮空が寺名を「石塔山恵隆寺」と改称。
宝亀6(775)年、高寺は内紛で一時、崩壊する。
延暦23(804)年、僧/利仁が中興、子院「高寺三十六坊」も建立され全盛期を取り戻す。
慧日寺の興隆とともに、徐々に衰退。
建久元(1190)年、滅亡し、高寺は“伝説”になった。
滅亡の後に仏像などの一部が小金塔村 (塔寺) に移され、現在の恵隆寺となる。
高寺山には、高寺の遺構が数多く眠っているという。
▲(会津坂下町一帯)