天正18(1590)年、蒲生氏郷公が父/蒲生賢秀の菩提を弔うため創建し、曹月存禅師 (下総国/安穏寺) が開山。
金剛山、曹洞宗。
本尊の聖観世音菩薩立像は、前方に両手を差し伸べ人々を救済する前傾姿勢で、全国でも珍しい形とのこと。
木造蒲生賢秀坐像などを所蔵。
封内の僧録司 (領内での曹洞宗/総本山)であった。
慶長17(1612)年、鶴ヶ城/西の米代から現在の地に移築。
戊辰の役で、堂宇すべてが焼失。 本堂や山門など、今なお再建され続けている。
東海散士 (柴四郎) など柴家の墓がある。
殉難墓あり。
▲(会津若松市花見ケ丘3-3-8 Tel. 0242-26-2882)
寛永20(1643)年、高遠藩主/保科家の菩提寺である信州/建福寺から、鉄舟禅師 (第5世) が供奉し、無住であった長福寺の南町河原新丁に開基。
養祖父/保科正直、養父/正光の位牌が安置され、その法号から「大宝」、正直の法号から「建福」がとられた。
大宝山、臨済宗妙心寺派。
保科正之公が会津拝領となり、従って移った"お供寺"の一つ。
大龍寺、善龍寺、大法寺なども、お供をした。
延宝8(1680)年、現在地の鞍見山正行寺跡地に移り、堂塔伽藍が建立される。
貞享2(1685)年、正容公が、江戸芝/東禅寺から黙水和尚を迎える。
以来、士族の寺として、隆盛を極める。
田畑からの収益で維持管理できるほどの、広大な所領地が与えられている。
戊辰の役で、堂宇すべてが焼失した。
明治3(1870)年、鶴ヶ城御殿の建物に使用されていた木材を使って、再建される。
藩主の手によって植えられたと伝えられている2本のシダレ桜は、20数年前まではあったが、現在は1本が残るのみ。
会津七福神の福禄壽。
道教での幸福、俸禄、長寿の三徳を具現化しものであるため、"禄"が士族の"禄高"に通じ、財運、開運、健康に恵まれる御利益があるとのこと。
殉難墓あり。
[閑話]
▲(会津若松市建福寺前7-3 Tel. 0242-28-3892) 鶴ヶ城から 1.4km
文保2(1318)年、他阿上人と真教和尚が開山。
陸照山・六照山、時宗。
本尊は、阿弥陀如来。
康暦元(1379)年、葦名直盛公に従って会津に来た鎌倉光徳寺/住職が「光徳寺」として中興。
慶長3(1598)年、上杉景勝公に従って会津に来た越後/弘長寺の僧/信随が「弘長寺」と改称。
会津二十一地蔵尊の第三番。
町廻り三十三観音の第二十一番 河原町。
殉難墓あり。
昭和37(1962)年、本堂建立の際、赤井町の西光寺・日新町の常念寺(長念寺とも)・大町名古屋町の東明寺を合体した東明寺が同地に移ってきた。
▲(会津若松市川原町5-20 Tel. 0242-27-3637)
安養山、浄土真宗本願寺派。
明応4(1495)年、葦名盛高公の第4男/万千代麿が得度したため、一宇が創建された。
永禄6(1563)年、盛高公の遺命で現在地に本堂が建てられ移転。
外観は幼稚園・保育園で、寺は事務棟の2階で執り行っている。
▲(会津若松市宝町2-16 Tel. 0242-27-3942)
戊辰の役の慶応4(1868)8月26日、極楽寺の僧の内通により西軍が小田山に砲台を築き、1.6キロほどの鶴ヶ城に連日、砲火を浴びせた。
戦後、この裏切りを知った藩士/武田宗三郎は、謹慎所から脱走し、僧を一刀両断した。
僧は、葦名氏の遠い末裔の1人だった。
しばらく、裏切りの寺と言われていた。
永正2(1505)年、葦名盛高公・盛滋公/父子同士の合戦で、家臣/富田志摩守秀長が戦死した。
天文6(1537)年、子/右馬允時長が霊を弔うために、「水月庵」という草庵を建て、後に秀長寺となる。
龍雲山、曹洞宗。 本尊は釈迦如来。
新潟/滝谷山慈光寺の末寺。
町廻り三十三観音の第十四番 材木町。
殉難墓あり。
▲(会津若松市材木町1-10-33 Tel. 0242-27-4935)
元和9(1623)年、伊予の栄玄が開山。
柏原山、真宗大谷派。 本尊は阿弥陀如来。
その後に、西蒲原郡月潟村/満徳寺から円成が入山し中興、この地の開墾に力を注ぐ。
山門の両脇に教えが刻まれている。訪れた時のお楽しみ。
境内にある樹齢300年の大銀杏は見事。
▲(会津若松市花春町7-1 Tel. 0242-27-4607)
慶長4(1599)年、越後/常慶寺の慶巌が入山し開山。
上杉景勝公が会津拝領となり、従って移った"お供寺"の一つ。
医徳山、曹洞宗。
本尊は、釈迦如来。
戊辰の役で、すべての伽藍や什宝、過去帳までも失った。
▲(会津若松市錦町2-22 Tel. 0242-27-0229)
寛永20(1643)年、保科正之公が会津拝領となり、従って移った"お供寺"の一つ。
建福寺、大龍寺、善龍寺、大法寺なども、お供をした。
法紹山、日蓮宗。 本尊は十界曼荼羅。
正之公の生母/お志津の方の法名「淨光院殿法紹日慧大姉」から名付けられ、寺領は奥羽一で松島/瑞巌寺を凌いでいたという。
戊辰の役で釈迦堂以外はすべて焼失し、寺宝も奪われた。
大正12(1923)年、房総/釈迦寺から日暎上人が入山し、中興した。
昭和の中頃(1962〜1968)、本堂や庫裏などが再建された。
殉難墓あり。
▲(会津若松市宝町4-25 Tel. 0242-27-5181)
至徳1(1384)年、葦名直盛公が勧請。
大阪/住吉大社のご神体を迎え、材木町の河原に奉祀。
祭神は、四神。
・住吉三神の底筒男命、中筒男命
・海の神/航海の神の息長帯姫命
お日市 7月31日。
境内に小さな標柱「会津藩戦勝地跡」があり、大勝利だった材木町の戦いが偲ばれる。
隣接の秀長寺には、「秀長寺古戦場の碑」などが建立されている。
▲(会津若松市材木町1-10-13 Tel. 0242-28-3537)
永仁2(1294)年、葦名盛宗公が創建。
信州/諏訪大社からご神体を迎えたが、総本社と同じ名称では失礼にあたるとして、「諏方社」の名にした。
新宮助成との戦いの前に祈願したところ、戦わずして勝利した御礼であった。
以降、歴代の藩主にも崇敬され、大いに栄える。
幕府は、貞享2(1685)年に初めて暦法を施行し、「江戸、会津、伊勢、三島、南都など」に、暦を発行する権利を与えた。
その「会津暦」を作成していたのが、諏方社である。
会津の風土にあわせた補正がされていた。
後に三橋兼也が、伊勢の神職に伝えて"伊勢暦"が出来た。
江戸時代には、諏方神の正一位授与を祝って「授光祭」が、例祭とは別に催された。
藩主が江戸詰の年は「陰祭」、在国の年は「本祭」が開催され、山車などの行列が2千人を超え、他に類を見ない盛大さだったという。
戊辰の役の激戦地の一つで、二の鳥居に当時の
弾痕が残っている。
藩士/西郷寧太郎の妻/やほ子など婦女子4名も、ここで自刃している。
この周辺にまつわる民話がある。
殉難墓あり。
[閑話]
▲(会津若松市本町2-50 Tel. 0242-27-7427) 鶴ヶ城から 930m
中川原大日如来の名で親しまれている。
2歳児の守護仏。
会津十二支守り本尊の未・申。
お日市 8月5日。
▲(会津若松市湯川町)
保科正之公が山形から転封になった際の御供寺の一つ。
寛永20(1643)年、最上より従った日如が草創。
妙了山、日蓮宗。
総本山は、身延山久遠寺。
戊辰の役で焼失し、明治14(1881)年から再建が始まる。
現在の庫裡は昭和4(1929)年、本堂は平成10(1998)年に再建。
籠城戦の際、当時の住職/日清が、鶴ヶ城天守閣の最上階で連日「怨敵退散」の祈祷を続けたことでも知られる。
殉難墓あり。
▲(会津若松市御旗町1-9 Tel. 0242-27-9114)
塚原山、浄土真宗本願寺派。
本尊は、阿弥陀如来。
創建には、2説がある。
永禄元(1558)年、円西比丘尼が田島に「福専寺」を開山。
三世/法西が大沼郡玉路村穂谷沢に移し、境内から泉が湧き出たので「福泉寺」と改める。 五世/法善が現在地へ移転する。
慶長4(1599)年、上杉景勝公が会津拝領となり、従って移った"お供寺"の一つとの説もある。
戊辰の役で焼失したため、後に再建された。
▲(会津若松市錦町2-74 Tel. 0242-27-0992)
"藤の大樹"があったから"とか、"藤の森"があったからといわれているが、古くは伏見稲荷のことを藤森稲荷と称していた。
江戸時代には、一般名称として使われている。
藤森稲荷の名称から、境内に藤が植栽され、やがて神社の名物になったと聞く。
お日市 7月5日。
▲(会津若松市新横町)
文和3(1354)年、葦名盛員公の子/高盛の室/笹谷御前が観音堂を建てた。 高盛は、建武2(1335)年に戦死している。
康暦元/天授5(1379)年、葦名直盛公が笹谷御前を開基として創建した。 寺名は御前の法名「宝積寺殿金峰尊公大姉」から。
如意輪山、曹洞宗。 本尊は如意輪観音。
会津美里町/尾岐龍門寺の末寺。
幾多の変遷を経て、蒲生秀行公の正室/振姫(徳川家康の娘)が中興に尽力し、当寺に葬られている。
戊辰の役で、堂宇や仏像、過去帳など全てが焼失した。
明治25(1892)年、本堂が再建。
町廻り三十三観音の第六番 小田。
本尊の如意輪観音は、安産の守り神として信仰されている。
入口にある地蔵は、錫杖(しゃくじよう)に十字が彫られており、切支丹地蔵といわれている。
境内に、北向きとして有名な正一稲荷大明神がある。
同じ北向きの鶴ヶ城内の稲荷と、愛宕神社の稲荷の3ヶ所にお参りすると、合格の願いが叶うと信じられている。
受験シーズンには、大勢の参拝客で賑わう。
▲(会津若松市花見ケ丘3-5-30 Tel. 0242-26-0209)
康暦/天授年間(1379〜1381)、葦名直盛公が創建。
石塚山、真言宗。 本尊は、十一面観音。
金剛寺の末寺。
その後、蒲生忠郷公の母/振姫(徳川家康3女) が堂宇を再建。
会津三十三観音の第十九番札所。
お日市 7月16日。
▲(会津若松市城西町)