会   津   で   遊   〜   ぼ   !

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上杉景勝公“ゆかり”を巡る

 
東北地方で睨みを利かせる雄。
豊臣秀吉の恩を忘れず、東北/関ヶ原では快進撃。
しかし、本戦/関ヶ原が予想もしない、まさかの半日で決着し、
家康と真正面から対峙した雄は、米沢へ減移封となる。
だが、会津との深いつながりは、今も続く。
 

 《会津若松IC (磐越道)》

   ↓  3. 4 Km

神指城跡

神指城跡

 慶長5(1600)年2月から、会津120万石の藩主となった上杉景勝公が、新たな城下町を創るべく築城を開始。
 石田三成率いる西軍が、関ヶ原で激突し敗戦。
 神指城は竣工することなく、夢幻しとなる。


 説明板と、本丸の石垣の基礎石などが残るのみ。

 ▲(会津若松市神指町大字高瀬字五百地)
    ・駐車場はない。


   ↓  4. 8 Km

直江兼続の屋敷跡

直江兼続の屋敷跡

 上杉景勝公に従って入府した直江兼続の屋敷のあった場所でもある。  家康と対峙することとなり、神指城の造営を急ぎ、昼夜にわたる突貫工事の総監を務めている。
直江兼続の屋敷跡の説明文
 ▲(会津若松市山鹿町1-25)
    ・説明板があるだけ。

   ↓   460m

鶴ヶ城

鶴ヶ城  上杉謙信公仮廟所跡

 上杉景勝公が会津入府の際、春日山城に葬られていた養父/上杉謙信の墓も移された。

 その後、米沢に減移封されたため、墓も再び米沢城に移された。
 ▲(会津若松市追手町1-1)
   ・駐車場は有料、 鶴ヶ城会館の駐車場がお勧め


 
《 興 味 が あ れ ば 》

上杉景勝公に従って会津へ移って来た“お供寺”

  正法寺

    ▲(会津若松市東山町
         大字石山字天寧196)
       ・鶴ヶ城から 1.9 Km

  常慶寺

    ▲(会津若松市錦町2-22)
       ・鶴ヶ城から 1.5 Km


  福泉寺

    お供寺の1つとの説がある。
    ▲(会津若松市錦町2-74)
       ・鶴ヶ城から 1.2 Km

  長福寺

    景勝公に従って会津へ来た僧が再開創。
    ▲(会津若松市日新町16-24)
       ・鶴ヶ城から 2.0 Km

  洞雲寺 (東雲寺)
   景勝公と共に再び米沢へ移るが、
   残留した家臣が存続維持。
    ▲(会津若松市大戸町上三寄大豆田83)
       ・鶴ヶ城から 12.0 Km

   ↓  9. 4 Km

景勝清水 (養泉院)

 景勝公が鷹狩をした折り、この清水で喉を潤うと「美味なり」と称したことから、その後、景勝清水と呼ぶようになった。


 ▲(会津若松市北会津町
    田村山字堂ノ下/村山266)


 
《 興 味 が あ れ ば 》

水久保城

 天正17(1589)年、伊達軍の会津侵攻で水久保城に籠城する山内氏に、上杉景勝公が援軍と武器・食料を送る。
 その時、上杉軍を率いたのが直江兼続
 ▲(只見町只見要害山)
    ・景勝清水から 78.6 Km
 現在、「愛 直江兼続ゆかりの地 只見」で、売り出し中。

   ↓  7. 5 Km

《会津若松IC》


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