会 津 で 遊 ~ ぼ !
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日什大正師の“ゆかり”を巡る
領主/蘆名盛宗公の外孫として生まれ、一人っ子として両親の愛情を一身に受け、何不自由なく成長していった。 しかし、15歳の時に相次いで両親が亡くなり、悲しみのどん底に落とされる。 この悲しい出来事によって世の無常を知り、仏道を求めることになる。 出家した天台宗で50年近くも探究したが疑念は晴れず増すばかり、偶然に知り得た日蓮聖人の書の中に光明を見い出した。 日蓮宗に改宗して探求し続けるも、時の日蓮門下の各門流は “我こそ正統” と争論に明け暮れるばかりで、教えの遂行より名声を得ることに走るなど宗風は荒れていた。 原点の教えに戻ることを決意し、日蓮聖人を宗祖とする顕本法華宗を興し独立、残りの生涯を遺命「帝都弘通 (京都での布教)」の遂行に捧げた。 [肖像] その後の門流は、幾多の迫害にもかかわらず、慕い集まった徳のある日仁上人や日実上人などに引き継がれ、数多くの門弟に継承されている。
≪ 東山温泉 ≫
↓ 温泉街にあるが、石段は1,225段ある。
羽黒山東光寺 (現/羽黒山神社)
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応安4/建徳2(1371)年、蘆名直盛公の招聘で帰郷し、羽黒山東光寺 (現/羽黒山神社) の住職となり、多くの弟子を教養する。 全国から300人もの学僧が比叡山随一の学徳を慕って集まり、49の僧坊が建つほどだった。
▲(会津若松市東山町湯本積り86 社は山頂
Tel. 0242-27-2306)
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↓ 4. 1 Km
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明徳2/元中8(1391)年、日什大正師自らが開山。
入滅前に「一旨三通」の置文を著し、この寺と玄妙寺、妙満寺に残し置くよう遺言。 「什門ノ三本山」とされる。
明徳3/元中9(1392)年2月28日、この寺で入滅。
▲(会津若松市馬場本町3-34
Tel. 0242-22-6803)
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↓ 1. 6 Km
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応永元(1394)年、顕本法華宗開祖の生誕の地に、日仁上人によって霊場として開山され、廟所が建立された。
▲(会津若松市一箕町八幡墓料78
Tel. 0242-25-3337)
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↓ 540m
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なかなか子に恵まれなかった母/清玉姫が、子授けを祈願し身ごもることができた神社。
その後も安座を祈願し続けたところ。臨月の日に急に産気づき、社殿の階段で日什大正師を出産したと伝わる。
▲(会津若松市一箕町八幡字八幡53
Tel. 0242-22-7842)
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↓ 200m
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母/清玉姫が産気づいた時、一箕山八幡神社の裏から突如として清水が湧き出し、産湯として使ったと伝わる。
市民ふれあいスポーツ広場のテニスコート奥、會津学鳳高校側に碑がある。
▲(会津若松市一箕町八幡字八幡2-1)
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↓ 3. 8 Km
≪ 会津若松IC ≫
(補) お隠れの釜岩
天台宗から日蓮宗に改宗を決めた際、命を狙われ、数日間も隠れて難を逃れたという洞もあるが、危険なため現在は入山禁止となっている。
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