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野 口 英 世 青 春 広 場

▲(会津若松市中町1-23)

 以下の緑色の文は、現地の 「説明板」 から
画像クリックで現地の説明板の写真表示も一部あり .


 「野口英世青春通り」と呼ばれている広場前の通りには、街灯や歩道と車道を分けるレリーフもあり、お見逃しなく。



野口英世青春広場の入口

 奥に野口英世像が建ち、イベントステージやDr.野口館、店舗が入っている小さな空間。
   ・6時〜22時
    (店舗は11時〜16時、一部の店舗は〜21時)


門扉のレリーフ
 入口の門扉に、付いている。 注意して見ないと、気付かず通り過ぎてしまうほど目立たない。
 抽象的な浮き彫りなのだが、なぜか気に入っている。

会津藩中屋敷石垣


 江戸の会津藩中屋敷の石垣を移築したもの。
 案内板には、石垣の由来が記されている。
会津藩中屋敷石垣の説明板


 この花壇(かだん)使(つか)われている(いし)は、東京都(とうきょうと)港区(みなとく)東新橋(ひがししんばし)一丁目(いっちょうめ) (都営地下鉄(とえいちかてつ)大江戸線(おおえどせん)汐留駅(しおどめえき)南側(みなみがわ)) にあった、会津藩(あいづはん)江戸(えど)での活動(かつどう)拠点(きょてん)のひとつ「会津藩(あいづはん)中屋敷(なかやしき)」の船入場(ふないりば)(きず)かれていた石垣(いしがき)(いし)(もち)いています。
 この会津藩(あいづはん)中屋敷(なかやしき)場所(ばしょ)は、寛永(かんえい)16(ねん) (1639(ねん)) に当時(とうじ)山形城主(やまがたじょうしゅ)であり、(のち)初代(しょだい)会津藩主(あいづはんしゅ)となった保科正之(ほしなまさゆき)拝領(はいりょう)したものです。

Dr.野口館、エントランスホール

Dr.野口館、エントランスホール

 建物内には、数店舗が営業をしている。

 少し前まで、ご当地B級グルメとしてカレー焼きそばを再興した「トミーフード」が営業していたが、今は無い

  Dr. (ドクター) 野口館は、関連した情報を提供している。

 近辺の「野口英世ゆかりの地」を案内している看板が立てかけてあった。
「ゆかりの地」の案内板    (1)会陽医院跡
   (2)末廣酒造/嘉永蔵
   (3)日本基督教団若松栄町協会
   (4)旧会津中学跡
   (5)野口英世青春通り
   (6)野口英世の銅像

イベントスペース

 こじんまりしたイベントスペース。
 城下町の町並みの中では、ゆったりとして広く感じる。
 時おり、様々なイベントが行われている。
 週末や休日が多いようである。

野口英世像

野口英世青春広場の銅像

 以前は、中央公民館前に建立されていた。
 広場の完成に合わせて、この地に移築された。
 今では、広場の中央奥から見守っている。

 台座の「忍耐」の文字も、印象的である。
 向かって右は「碑文の和訳」、左は「恩師への手紙」の案内板。

 米国ニューヨークのロックフェラー大学図書館入り口には、ロックフェラー1世と左右に対で、野口英世の胸像が並んでいる。
 日本だけでも、猪苗代町の野口英世記念館の他に、東京の国立科学博物館前や野口英世記念会館、長野県佐久市の臼田文化センターなどにある。
 会津にある銅像は、こちら。
 略歴は、こちら。

ロックフエラー財団の碑文

碑 文

碑文(ひぶん)について (英文訳文(えいぶんやくぶん))
博士(はかせ)野口英世(のぐちひでよ)  ―  ロックフェラー医学研究所員(いがくけんきゅうしょいん)

 1876年 (明治9年) 11月9日 日本(にほん) 猪苗代(いなわしろ)(うま)る、
 1928年 (明治3年) 8月21日アフリカ黄金海岸(おうごんかいがん)()す。

 科学(かがく)人生(じんせい)への献身(けんしん)(ゆえ)(かれ)生涯(しょうがい)(よろこ)んで黄熱病(おうねつびょう)征服(せいふく)(たたか)いの(ため)(ささ)げられた。
 この銅像(どうぞう)(かれ)親愛(しんあい)なる市民(しみん)によって(かれ)偉大(いだい)なる業績(ぎょうせき)記念(きねん)し、かつ将来(しょうらい)(わか)世代(せだい)人々(ひとびと)(かれ)示範(しはん)激励(げきしょう)とを要請(ようせい)すべく 建立(こんりゅう)されたものである。
1957年     .
恩師宛の手紙
野口博士(のぐちはかせ)より(ちち)()んでいた恩師(おんし)
小林(こばやし) (さかえ) () (あて)手紙(てがみ)

 生物(せいぶつ)には死生(しせい)(さかい)なく 人生(じんせい)には幸不幸(こうふこう)(わか)()なく ()めるものは(かなら)ずしも(さいわい)ならず ()めるものも人知(ひとし)らざる楽境(らくきょう)()るを()べく 色々(いろいろ)()(なか)見渡(みわた)せば無境無我(むきょうむが)()申候(もうしそうろう)
 人生(じんせい)目的(もくてき)(いず)れにあるやと 時々(ときどき)(うたが)わせ申候(もうしそうろう)
 4千年(まえ)古人(こじん)(しょう)せし明月(めいげつ)今日(きょう)此頃(このごろ)各地(かくち)より故山(こざん)(しの)ばする同一(どういつ)のお月様(つきさま)にて(とき)(かぎ)りなき (なが)きが(ごと)くにして(みじか)(みじか)きが(ごと)くにして(なが)きを(かん)ぜしめ(そうろう)
 昭和(しょうわ)二年五月十二日 深更(しんこう)
英世(ひでよ)     .
故城(ごじょう)なる父上様(ちちうえさま)膝下(しつか)

 野口英世の命日5月21日には、「野口英世博士をたたえるつどい」が開かれる。
 猪苗代町にある野口英世記念館でも、「命日祭」が開かれる。

 以外に知られていないのが、太陽光発電施設「あいづ市民共同発電所」である。
 環境問題に取り組んでいるNPO法人「環境保全会議あいづ」が中心となって設置された。
 照明に消費される電力の、ほぼ半分を発電しているとのこと。

 七日町散策の際には、ぜひ立ち寄ろう。
   ≪野口英世青春広場の問合せ≫
    ・(株)まちづくり会津  Tel. 0242-38-2822

會陽医院跡

 広場から130メートルほど離れた所に、野口英世が左手の手術を受けた會陽医院跡もある。
 1階は喫茶店。
 青春を過ごした様々な資料が、2階に展示されている。
 ちょっとした休憩に、おすすめ。

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