会 津 若 松 市 の 見 ど こ ろ

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[補足] 山 神 社 (金堀)

山神社の現地案内板
 沓掛(くつかけ)峠の金堀(かねほり)地区側の上り口のところに山の神を(まつ)った神社がある
 旅人は、この街道を往来するのに沓 (くつ ― わらじ) を神社の杉の木などに掛け、旅の安全を神社にお祈りした。
 また、神社の入口には馬頭観世音があり、旅人を運んでくれる馬の安全を祈った。
 さらに、金堀金山が最盛期の頃には、縁起にあやかりたい参詣人で大変賑わったという。
 金堀集落は昔はもっと東の方にあり「明沢(あかるさわ)」と呼ばれていた。 そのうち、金が産出されるようになり「金堀」の名に改められたという。 貞亨元年 (一六八四年) 火災に見舞われ、貞亨四年 (一六八七年) に現在のところに移った。
 戊辰の役のときには、この付近でも戦いがあり、戦後、金堀集落の人達は戦死者を手厚く(ほうむ)り、戦死十一人の墓を建て供養している。
 平成十八年十月   会津若松市一簣町  旧滝沢街道ふれあいまつり実行委員会

現地の案内板より
 逸話も残っている。

 戦国時代、この地に住む農民たちは、狭い田畑しかなく耕作もままならなかった。
 この年はソバも実らず、このままでは餓死するしかなく、生きるため五穀豊穣を切に祈願した。
 日没とともに雷鳴が暗闇をつんざき、かつてない大雨が一晩中、降り続いた。
 翌朝、夜中の豪雨がウソのように晴れ渡り、近くの山の一部がキラキラ輝いている。
 近くに行ってみると、山肌が崩れて、その中から大量の砂金が顔を出していた。
 その後、会津を代表する量の金を産出し、重要な金鉱山に発展する。
 集落をこの地に移し、最盛期には1千5百軒もの棟が連なったという。
パワースポットの二股
 宝くじファンの人たちには、隠れた人気スポットである。
 ここにお参りすると、宝くじに当選するという。
 当選するまでは、何度でも参拝は続けた方が良いそうだ。
 邪心が消え、真心が通じた時に、幸運がもたらされるという。
[閑話]
 撮影している時、1組の夫婦が参拝していた。
 何となく話しかけると、その友人が1等ではないが5千万円当たったそうだ。
 参拝して、すぐに当選したそうで、あやかりたいと遠路から来たのだという。
 まんざらデマではないようだ。
 邪心があるためか、いまだ筆者へ当選の女神は来ていない。

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