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ご   縁   の   あ   る   地

秋 田 県 と の“ご 縁”

≪ 蘆名氏との ご縁 ≫

天寧寺

 萬松山。 曹洞宗。
 本尊は釈迦如来 (釈迦牟尼仏)。
 天正17(1589)年の伊達政宗による会津侵略により、領主/蘆名義広は実兄/佐竹義宣の常陸国に逃れ、豊臣秀吉から常陸江戸崎を与えられたが、関ヶ原の戦いで西軍に与したため角館に国替えとなり、会津/天寧寺の末寺として同名の寺を永島観悦 (後の輪叟祐玉(りんそうゆうぎょく)) が開山した。
 慶長7(1602)年、会津の名僧/観悦は名君/蘆名盛氏の位牌と座像を背負い、角館で瑞雲庵 (後の天寧寺) を草創し供養所とした。
 随従した家臣は、総勢2百名ほどまでに減っていたという。
 寛永元(1624)年、再々改名の義勝(義広)を開基とし正平寺住職/鉄心快牛が中興開山。
 後に天寧寺は、末寺8ヶ寺を開創している。
  ・宝聚山満福寺 ・八華山安楽寺 ・松尾山玉林寺 ・耕田山福寿院
  ・松応山龍泉寺 ・巌雄山東林寺 ・生保山東源寺 ・黄鴬山種蔵院
 明治18(1885)年、本堂が焼失。
 昭和44(1969)年、本堂が再建。

蘆名氏の墓所
 本堂の左側傾斜地にある。

天寧寺 天寧寺 天寧寺

蘆名義勝

蘆名盛俊

蘆名千鶴丸


蘆名氏の墓所

 案内板には右端が殉死した「岩橋又右衛ヱ門」、左端が同じく殉死した「宮崎主殿之助」のように記載されているが、家臣が主家と同列に配置されるとは考えにくく、一段低い所に左右向き合っている右端が岩橋又右衛門、左端が宮崎主殿介の墓と思われる。

  天寧寺

宮崎主殿之介

    岩橋又右衛門

 蘆名盛俊が20歳で死去してしまい、蘆名家再興の望みが断たれたとして殉死した家臣/岩橋又右衛門・宮崎主殿之介が両端で見守っている。
天寧寺
蘆名氏の墓所入口 草履取り (姓名不詳) の墓

 墓所入口には、同じく殉死した盛俊の草履取り (姓名不詳) の墓がある。

千鶴丸の大仏

千鶴丸の大仏 (阿弥陀如来)
 参道の左側にある。
 千鶴丸の供養のため造られた青銅製の大仏。
 承応2(1653)年、3歳の千鶴丸が参詣の際に、縁側から敷石 (沓脱ぎ石) に転落し死去した。
 その沓脱ぎ石が、大仏の土台石になっている。
 1歳で家督を継いでおり、これで蘆名氏は断絶した。
 ▲(仙北市角館町上新町10 Tel. 0187-53-2904)

城下町の構築

 慶長7(1602)年、蘆名義勝は実父/佐竹義重と実兄/義宣とともに秋田に入部する。
 翌年、所預になった居城/角館城へ入り、街づくりに着手する。
 元和6(1620)年、一国一城令で角館城の廃城に伴い、城の南に城下町を移転させ新たな町割りを行ない、現在の「みちのくの小京都」の基礎をつくった。
 千鶴丸の夭折で蘆名氏が断絶すると、一族である18代当主/佐竹義隣が入部し幕末まで治めた。

角館城祉 角館城祉

角館城祉

 小松山城 (現/古城山城址) とも。
 応永31(1424)年、戸沢氏が築城。
 元和6(1620)年、廃城。
 ▲(仙北市角館町岩瀬字古城山)


城下町「武家屋敷通り」  ▲(仙北市角館町東勝楽丁)

城下町「武家屋敷通り」 城下町「武家屋敷通り」 城下町「武家屋敷通り」

久保田城

 鶴ヶ城と同じ日本100名城 (9番) の1つ。
 慶長9(1604)年、蘆名義広の実兄/佐竹義宣が築城。
 久保田藩主/佐竹氏の居城。
 明治13(1880)年、焼失し廃城。
 平成元(1989)年から復元が作業が続けられている。
 ▲一部有料 (秋田市千秋公園近辺)


佐竹義和・佐竹義宣の墓 (天徳寺)

佐竹義和
 松平容敬の正室/節姫 (本光院) が/佐竹義和の娘。
 安永4(1775)年1月1日〜文化12(1815)年7月8日 (40歳)
 幼名:直丸。 通称:次郎。
 号:泰娥、知足斎、突故斎、日新斎、荷風亭など。
 父/佐竹義敦、母/三木清(清瀧、三木宇平太の娘)。
 出羽久保田藩/9代藩主。

佐竹義宣
 蘆名盛隆の娘/岩瀬御台が嫁ぐ。
 蘆名義広の兄。
 元亀元(1570)年7月16日〜寛永10(1633)年1月25日 (62歳)
 幼名:徳寿丸、義宣。 通称:次郎。
 出羽久保田藩/初代藩主。
 「浄光院殿傑堂天英大居士」


 ▲非公開 (秋田市泉三嶽根10-1 Tel. 018-868-1700)
       ・毎年8月16〜17日のみ公開とのこと

佐竹義重 (てん[門+眞]信寺)

佐竹義重(てん[門+眞]信寺)

 蘆名義広の父で、佐竹氏/18代当主。
 天文16(1547)年2月16日〜慶長17(1612)年4月19日
 幼名:徳寿丸、義重。
 通称:次郎。 渾名:鬼義重、坂東太郎。
 父/佐竹義昭、母/岩城重隆の娘。
 戦国時代から江戸時代初期の戦国大名。
 天正9(1581)年、黒川城 (鶴ヶ城) を訪れ、と蘆名氏と同盟関係に入る。
てん[門+眞]信寺  関ヶ原の戦いでは西軍・東軍どちらにも曖昧な態度だったため出羽国久保田計20万石に減移封される。
 出羽国へ減移の際、常陸国中の美女を引き連れて秋田美人の礎を築いたとされる。
 狩りの最中に落馬して死去 (66歳)。
 ▲内部は非公開
   (秋田市手形字蛇野89 Tel. 018-832-8828)

岩城家御霊屋 (龍門寺)

岩城家御霊屋(龍門寺)

岩城貞隆  蘆名義広の弟。
 磐城平藩主・信濃中村藩主。
 天正11(183)年〜元和6(1620)年10月19日 (38歳)
 幼名:能化丸、貞隆。 通称:忠次郎。
 父/佐竹義重、母/伊達晴宗の娘、養父/岩城常隆。
 「円城院殿雲山宗龍大居士」
龍門寺 岩城宣隆  蘆名義広の弟。 出羽亀田藩/2代藩主。
 天正12(1584)年〜寛文12(1672)年8月27日 (89歳)
 幼名:彦太郎。
 改名:多賀谷宣家、佐竹宣家、岩城宣家、宣隆。
 父/佐竹義重、母/伊達晴宗の娘、養父/多賀谷重経。
 「円通院殿月宮観心大居士」
 ▲(由利本荘市岩城赤平字向山25 Tel. 0184-72-2373)

≪ 源翁和尚 (源翁禅師) との ご縁 ≫

最禅寺

最禅寺

 嘉暦元(1387)年、諸国を行脚中の示現寺/源翁和尚が、住民の懇願に応じ、古寺を曹洞宗に改宗して開山。
 源翁禅師の作とされる「薬師如来像」や「十二神将」を所蔵しているとのこと。
 祈祷場としていた鏡池が現存している。
 源翁和尚は、殺生石を鎮めたことで有名。
最禅寺  三不思議 (七不思議も) の伝説がある。
  ◇ 蛙は鳴かず
  ◇ 蜘蛛は糸を引かず
  ◇ 雨は音をせず
 ▲(湯沢市山田字上堂ケ沢81 Tel. 0183-73-3241)

東光寺

東光寺

 源翁和尚が開祖。
 曹洞宗、金峰山。
 源翁和尚が座禅をしたという石がある。
 ここにも七不思議伝説があり、ガマの棲む池が有名。

 ▲(羽後町床舞字門前142 Tel. 0183-62-1180)

小野小町生誕の地

 生誕伝説は多々あるが、有力とされる説が、この地。
 墓も全国各地に数多く点在しているが、有力とされる1つが喜多方市にある。

 ▲(雄勝郡雄勝小野村  湯沢市小野小町)


≪ 東北三十六不動尊との ご縁 ≫

普傳寺

普傳寺

 大龍寺薬師寺と共に東北三十六不動尊 (第七番)。
 ・大聖不動尊、厄除不動尊 (寺本尊)
 ・御朱印
 <御詠歌> 受くる身の 厄難消滅 有難や
       成就の()佛 南無不動尊


 開創は不詳、宥玄和尚が開山。
 慶長年間(1596〜1615)、創建。
 普光山、真言宗智山派。 本尊は不動明王。
 ▲(秋田市大町4-5-37 Tel. 018-862-8921)

嶺梅院

嶺梅院の不動堂

 大龍寺薬師寺と共に東北三十六不動尊 (第八番)。
 ・嶺梅院不動尊
 ・御朱印
 <御詠歌> 荒海の 波打ち砕き 渡りたる
       二八の尊の 功徳讃えん


嶺梅院  無等良雄禅師が閑居寺として創建 (伝)。
 寛延年中(1748)、蒼龍寺の和尚/桂岩極芳が現在地に再興。
 永福山、曹洞宗。 本尊は子安観世音菩薩。
 秋田七福神の弁財天。
 ▲(秋田市土崎港中央2-8-22 Tel. 018-845-0268)

玉蔵寺

玉蔵寺

 大龍寺薬師寺と共に東北三十六不動尊 (第十一番)。
 ・鯉川不動尊 (寺本尊)
 ・御朱印
 <御詠歌> (いか)りたる お顔なれども 安心の
       まろきお肩に 鯉川不動


 日積寺永禅院の塔頭寺として創建 (伝)。
 南北朝の頃、天台宗から真言宗智山派に改宗。
 日王山、真言宗智山派。 本尊は不動明王。
 ▲(三種町鯉川内鯉川96 Tel. 0185-87-4137)   [逸話]

遍照院

遍照院

 大龍寺薬師寺と共に東北三十六不動尊 (第十二番)。
 ・長久不動尊 (寺本尊)
 ・御朱印
 <御詠歌> 光なす 仏住まわん 長久に
       庭の公孫樹も 参る仏子にも


 慶長15(1610)年、常陸国筑波郡より佐竹氏に従って大館に下向し、大館城主となった家臣/小場義成が創建。
 医王山、長久寺、真言宗智山派。 本尊は不動明王。
 ▲(大館市上町6 Tel. 0186-42-3178)

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