戊  辰  の  役  /  殉  難  者

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西   会   津   町

安藤元四郎 . (龍泉寺)

安藤元四郎の墓

 慶応4(1868)年9月2日、真ヶ沢で戦死。
 朱雀士中四番隊/町野隊。
 27歳。
 夏場は木々が生い茂り見えないが、上った所に墓域がある。
 さらに一段上に上り、先に進む。
安藤元四郎と歴代住職の墓  最上段の墓域に、歴代住職の墓が並んでいる。

 それらの墓群と向かい合うように、佇んでいる。
 削られたか、朽ちたか、「安」と「墓」の字しか残っていない。
 真ヶ沢で戦死した7名の農兵も埋葬されたが、探し出せず。

龍泉寺

龍泉寺

 承応3(1654)年、宮野村に千秋寺として草創。
 寛永19(1642)年、真箇沢村に移し、龍泉寺と改めて再興。
 曹洞宗、嶺雲山。 竜泉寺との記載も。
 承応3(1654)年、再興。
 昭和47(1972)年、所蔵の鉄眼判大般若経・絹本著色仏涅槃図・絹本著色十六善神像が町指定重要文化財となる。
 観音堂は、同地区/奥川七観音の第六番/真ヶ沢観音堂
 戊辰の役で、襲撃した西軍の弾痕が本堂の柱などに現存。

 ▲(西会津町奥川大字飯里字反田1815 Tel. 0241-49-2032)

山本定平 . (常楽寺)

山本定平の墓

 山本栄三郎とも名乗る。
 野沢出身の農兵。田中大海の家来
 朱雀寄合二番隊/西郷隊附属。
 慶応4(1868)年7月29日、新潟/太夫浜で戦死。


 9月12日に小荒井で戦死した3名も埋葬されたが、探し出せず。
   山縣清之進、藤原松之、姓名不詳1名

長岡藩/岡村半四郎、中田良平の墓 長岡藩/岡村半四郎、中田良平 .

 両名とも、長岡藩の中間杖突。
 慶応4(1868)年8月28日、捕らえられ、後ろ手に縛られたまま大山祗の周辺/苦水で、衆人環視の中で見せしめで斬殺される。  「右両人於當所苦水殺さる
 岡村半四郎 「剣霜光院自源了悟(性)居士」
 中田良平  「剣雲院無端秋量居士」
常楽寺  埋葬時に頭部と胴体が離れており、どちらかの判別ができず、2基の墓には両方の名が各々刻まれている。

曹洞宗、隆源山。  .

 ▲(西会津町野沢字原町乙2253 Tel. 0241-45-3307)

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