戊  辰  の  役  /  殉  難  者

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常 宣 寺 (福島県白河市)

▲(白河市向新蔵136 Tel. 0248-23-3634)


常宣寺  参道の左側が墓域となっている。
 うっそうとした杉林に包まれ、鮮やかな杉苔で覆われている。
南無阿弥陀仏碑の説明文
 白い説明板が目印。

南 無 阿 弥 陀 仏 . (常宣寺)
 この碑は、戊辰の役白河口の戦いの中で最大の激戦であった五月一日の翌日に西軍の手によって処刑され谷津田川に流された東軍将兵及び、白河領民の霊を祀ったものである。 以前は新橋のたもとにあったがこの常宣寺に移された。
 またこの碑と同じ碑が馬町にある。
  昭和六十三戊辰年六月
白河観光協会    .



会津藩戊辰戦死十二士之墓

  ◇ 中央が会津藩戊辰戦死十二士之墓
  ◇ 右の墓が笹沼金六
  ◇ さらに右が三坂喜代之助
  ◇ 左は南無阿弥陀仏
  ◇ 左の1歩奥が長谷川丑吉


会津藩戊辰戦死十二士之墓
会津藩戊辰戦死十二士之墓 . .

 12士の戦死者名は、    .
いまだ不明のまま。    .

笹沼金六の墓 笹沼金六 .

 金兵衛の弟。
 遊撃隊/遠山隊差図役。
 慶応4(1868)年閏4月25日、白河で戦死。
 享年32歳。
 容保の京都守護職に従い上洛している。
 兄の砲兵隊頭取/金吾も、8月29日の大内峠で戦死した。
 「光照院方譽義晃居士」。


三坂喜代之助の墓 三坂喜代之助 .

 一郎右衛門の次男。
 会義隊/野田隊。
 慶応4(1868)年閏4月25日、白河で戦死。
 22歳。


長谷川丑吉の墓 長谷川丑吉 .

 用所使番。
 慶応4(1868)年5月1日、白河東町で戦死。
 22歳。
 墓碑は「長谷川信之 信為嫡男」と読める。
 「誠譽忠清信士」。


中野半三郎の墓

中野半三郎 .

 理八郎の倅。
 遊撃隊/遠山隊小隊頭(差図役とも)。
 慶応4(1868)年閏4月25日、白河で戦死。
 25歳。
 墓碑は、明治19(1886)年に建立。
 大窪山に、遥拝碑がある。

植松庄六の墓

植松庄六 .      .

 「慶応四年閏四月一二日」.
 「三河國豊橋産」とある。 .
 岡崎藩からの援兵とも。 .
 詳細不詳。         .

明治戊辰 戦死墓 .

明治戊辰 戦死墓

 慶応戊辰ではなく、明治の名が刻まれている。
 戦死者名、人数ともに詳細不詳。


脇に、棚倉藩家老/阿部内膳、棚倉藩士/間野保之助の墓がある。
阿部内膳 .
 古来の甲冑を身にまとい、十六組を率い隊長として槍と弓矢で奮戦するも、銃弾を浴び戦死した。
 勇猛さに怯えるの姿に、「仙台烏に十六ささげなけりゃ官賊高枕」と地元民たちは嘲った。

間野保之助.     .
 棚倉藩士。      .
 「慶應四戊辰年五月朔日 .
  於白川戦死
」     .

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